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カテゴリ:歴史と世の中の成立ち
はじめに 植え替えをしないからその株がやせてくるのよ!・・・と妻に叱れるアメリカフヨウの花 今年はきっと植え替えて、肥料も入れて来年に期待したい。 往復しました。 三輪神社の姿
写真の右下隅に三輪神社の標識が経っている。 江戸時代には麻田藩の飛び領出合った木器や小柿などもあります。 秋まつりには、ふとん太鼓とおみこしなどが練り歩く、歴史が豊かな歴史が匂う集落が あります。 また、左下には江戸時代などに評判であったと聞こえている湧き水とその水たまりもある された鳥居が経っていて、1995年阪神淡路大地震で崩壊した。。。云々が記録 されている。元禄忠臣蔵とは何も関係はありませんが、、三田は三田で人々がつつましく かつ、懸命に暮らしていた雰囲気を表す「鳥居」の建立を大切にしてきたお気持ちが 感じられます。 ともかく、そんなわけでこの御影石製?の鳥居は1995年、平成7年7月建立と刻んで いるように記憶しております。 を経て武庫川を間瀬橋 で渡る道になっている。 その中央町の一画、道路の景色 この写真にも三田のマンホ-ル蓋のカラ-ものが見えている その辺の道路面に点在している三田市のカラ-マンホ-ル(蓋) 皮肉ととられると困るが、あまり車が激しく通らないので、その色がほぼ奇麗に残っている 私にとっては南ヶ丘にある三田図書館に歩き(ざっと5㎞か)か自転車で通るので、この マンホ-ル蓋が目につく。 遊んでいるかに見える。 ここにはお地蔵様もあり、かつてはお寺もあったらしい。 せっかくだから、これまでネット検索などで出合ったマンホ-ル蓋の中で印象的な写真 を載せます 船橋市 五大力マンホ-ル 姫路市 三輪神社について 奈良の三輪神社の系統であり、かつてはこの神社の荘園が存在していたらしい。 また この神社の根本、石段の傍にはかつても道路を示す石の道しるべがある。 永沢寺に至る道路の途中、山の頂に「花山院」がある。 恐れ多くも花山院天皇が政争に巻き込まれてこの地にあるお手rに幽閉されて、この地で 亡くなった。 その宝篋印塔があるので、ここのお寺さんのお名前が別にあるものの、花山院の名前が 通りが良い。 かつてはこの古道が、正規の道路であったことだろう。 道路標識がある。 上野が辻 2018.02.03撮影
今はこの写真の手前を左に進めば三田ゴルフの正門前を通過して国立兵庫中央病院前に至る 写真の左に見える道路を奥に進むと志手原から木器、小柿方面に通じる道路に繋がっている この上野が辻付近の様子は分からないが、石造の遺物が多い事から重要な辻出合ったと思える 立つ「虫尾」や志手原を経て、花山院、永沢寺、また志手原で道を右にとれば江戸時代に 麻田藩の飛び領出合った木器、小柿などに至る。 ふとん太鼓に見る住人の心 三輪神社のふとん太鼓 2013.10.13 秋祭りにて撮影 ほど人々の心を突き動かしたように感じました。 我が家は今から32年ほど前に吹田市から移住しましたが、その際、まだまだ未完成であった ウッディタウンの道路でこのカラ-マンホ-ル蓋に出合い、かなり感動しました。 一般に下水道の蓋…と言った感覚で、鋳物のままマンホ-ルに蓋をすればいいんだ! そんな感覚が、国民一般の通例であった時代に先駆けて、このカラ-マンホ-ル蓋を採用 念を覚えました。
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最終更新日
2020年08月23日 15時04分06秒
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