じ・しんの話
「事実はひとつしかないが、真実は人の数だけある。」、まさにその通りだと思います。即ち「事実+主観=真実」なわけですから、「真実は一つ!」とか叫んでるうちは思考回路がお子ちゃまということなんでしょうな。とはいえ、実際には「限りなく一つに近い状態」というのも巷で多く見受けられます。けど、そういうのって例外なく何らかの「繋ぎ」によって団子状態になってるだけのもんなんですよね。β化すれば簡単にバラバラになるからこそ、冷めてきたら熱を加えてα化する必要がある。で、冷めたとこからフィーバー状態に持ってく際に、内部燃焼で賄いきれない場合は外部のエネルギーが必要になる。それには頭数増やして取り込むか負のパワーである「敵意」にあたるか、って具合になりましょうね。というのはまあ大した話でもないんですが、恋愛と結婚についてのトピックを最近よく目にするので、そんなことについてちょっとだけ。恋愛というのは「真実」が一つに見えている状態で、ピークの時は体の中からボーボー炎が燃えさかっててフィーバーフィーバー大フィーバーなわけです。更に、邪魔立てが多ければそっちのエネルギーも取り込んでもう富士山大爆発って感じ。そこから結婚に至っても大フィーバーな方だってまれにいますけど、恋愛の真実の頂点が結婚だった場合目標は達成してるわけですから、大概は徐々に自然鎮火していく。で、次の目標に行ってみようってことになるんですが、それが何かって言うと「真理」じゃないかと。状況に左右されない不動の「是」の境地の探求が始まってく。その過程で既存の「真実」が崩れて新しい「真実」からやり直し始める人もいるし、そのまんま進んでいく人もいる。めんどくさいのは一足飛びに事実→真理ってわけにはいかないことですわな。必ず「真実」を間に挟まないといけない作りになってて、一度出来上がった「真実」から主観をそぎ落とさないと「真理」に至ることは出来ない。それでまた「真理」っていうのも不思議なもので、一つであると同時にそれぞれが全く違っているという、単純なようで難解な、いや難解なようで単純なものなんじゃないかと思うんですよね。妥協とか諦念とはまた違って、「それはそういうもんだ」とすんなり受け入れられる状態まで行けるか行けないかなんて事はさっぱり分かりませんけど、結婚という状態を継続するという前提で考えてみれば、最後の最後に相方の顔を見てニッコリ笑って息を引き取る、もしくは最後を看取ることが出来ればおそらくミッションコンプリートなんでしょうな。それまではひたすら「最後のニッコリ」を目標に突き進むのみ、途中がどうだかなんて枝葉の事は適当にあしらってれば宜しいんじゃないかと。蛇足ですが、燃料が足りないからといって負のパワーを取り込みすぎると、毒に当てられて中身が腐ってしまうので注意が必要です。これは政治でも宗教でもなんでも同じですね。