フェレットを仕事にしよと思ったのは、とりあえず
動物病院関係のサイドは聖人だと設定して
最善を尽くしている集団だと思っていたのですね。
実際そうなんでしょうけど。
当初問題意識を持っていたのは
フェレットを扱うペットショップの事です。
新しい動物であったので扱い方もあまり知識もなく
多様な動物がペットとして扱われるようになったので
どの動物の管理も未熟な段階でした。
今もそう変わらないのかな?
どうだろう。情報は増えましたね
フェレットでいうと4歳くらいまでは病気はあまりしないので
良いのですが、ベビーで店に着て管理をすると
ミルクをやるかな?育てていくには
生きていく分には管理するのはできる物です。
4歳以降の病気に向かい合う健康でいる考えとは
ベビーの時からの生命維持の段階は別の物なのですね。
ともかく、私はフェレットが大事でした。
なぜ?お金に換えられない価値、、、家族ですものね
お金って、その当時は時間をお金に変えて得た道具であり
命の時間を形にした紙であり、金属なのですね。
お金=私の命の時間って感じです
その時給1000円だったので、1時間の私の命が1000円。。。と交換して
フェレットに沢山私の時間を費やしても、
寿命自体が長い人間は、自分の時間をつぎ込めるのですね。
お金以上、、、私の命の時間以上にフェレットが大切だったってこと。
お金=自分の命の時間
まあ、お金の作り方が人によっては違うのですが
その当時は時間との交換でした。
フェレットと幸せに自分は暮らしたい
ほかの人も同じように幸せに過ごして欲しいな-という
おせっかいな気持ちは、ペットショップで適切に初めて
フェレットと暮らす人にフェレットの事を伝えて
管理をして欲しいと思ったのです。
なので、普通の飼い主の段階からリーフレットと作り
無料でペットショップに提供して配っていました。
フェレットの犬歯をペンチで折るような店もあって
適切ではない飼育方法を言うお店もあって
私が好きな動物堂の飼育方法と比べて
未熟だったので、方法論だけなので、こう管理して
初めての人にもより幸せになってもらえるおせっかいを静岡でしていたのですね。
こんなおせっかいをするのも気の迷いだと思います
余計なおせっかいだと思うのですが、、、
これは先進的な管理や知識がある動物堂さんと比べるので、
地方の静岡でのペットショップの未熟さに気が付けたわけです。
比べる存在があったので。
でも、知識、、、知っているかどうかは、知ればいいし
知って使えばいいので、追いつけると思ったいたので
お店に情報提供をしていたのですね
静岡でフェレットの飼い主さんのグループにも参加しました。
情報交換をすれば自分も知識が増えるし、
知らないことを知っていけば集団で知識が増えていきますし
アイデアも生まれると思ってやり取りをしていました。
会報誌を作るお手伝いもしましたし、
同じ動物病院に通うことで、診療頭数を増やすことで
獣医さんの知識のレベルアップもしてくれるでしょうし、
病気に対して研究も、情報も集めてくれると思ったので
私自身のためにも一つの病院を紹介していたのですね。
これは普通の飼い主さんの時のことで、21歳くらいの事。
でも、今の自分から見ると、余計なおせっかいだし
いい方法ではあるけど、結局はうまく行かないなーと
判断してやらないと思います。
若気の気の迷いだと思います。
なんやかんやでフェレット輸入卸をする段階になると
ペットショップがフェレットを扱うことで利益を得るから
フェレットに適した取り扱いをしながら
フェレットについて調べもするし、
理解もしれくれると思ったのですね。
お店は利益が生まれるから頑張れるというので
そうすることで、飼い主さんにメリットがあると思って
幾つかのお店をフェレットに特化するようにフォローしてきました。
ほとんど今は廃業していますけど。。。
社会全体は変わらないので、変えることはできないので
私の手の届く目の行き渡る範囲のお店で
飼い主さんに幸せになって欲しいと思って
色々していました。ほんと、陰でいろいろしていました。
普通のペットショップでフェレットに則したことをしてもらいにくいので
フェレットが好きな人が、新しい飼い主さんに橋渡しをする企画も考えて
実施しましたがうまく行きませんでした。
フェレット好きの人のなかから、業者になってフェレットの
橋渡しをする人も生まれても来ました。
でも、好きなだけでは経営はできませんでした。
何人かいましたけどね。
もちろん残った人もいます。
どんな事業でも3年持つことは大変で
いろんな業者で新規にやっても廃業するから
そんなものかとも思いますけど。
フェレットの生体輸入ができて卸売りができる立場は
ペットショップの人から聞く耳は持ってもらえるように
なったとは思います。飼い主がマニアであってもなかなか
難しい面を、輸入卸していることで違う存在になれていたとは思います。
不思議です。
まあ、22歳くらいからフェレットの生体輸入をしている人って
不思議ですよね。。。今思うと
1998年にテナントを借りてお店をしました。
それまではガレージでやっていました。
1996年の10月くらいに初輸入で、
「「フェレットを扱って君の研究費にしなさい」」と言われて
始めたのが1997年とかだとすると、
1998年にお店を持つなんて早いですよね。今思うと。。。
で、開店した間際のお店にやってきた人が
肝臓病(GPT高値)でねって始まったの。その人は私からお迎えをしたわけではないのですが。
目の前のことを一生懸命するルールにしていたので
どうして肝臓が悪くなるかな?どうすれば治るのかな?って
獣医さんにも聞いたし、アメリカの業者さんにも聞いたんですが
答えないし。
で、調査の旅にでて、、、その当時のお店から1kmくらいの
自然食のペットフードを販売している
お店が有って、初めて入って相談をしたら
雑誌を13冊くらいかしてくれて
それがDOGと言う雑誌。
そこに分子栄養学からのペットへのアプローチが書いてあって
要するに体で栄養がどう使かわれて、健康を維持して
病気になったら治る仕組みが書いてあって
そこに、その方向性に答えがあると思ったのですね。
薬を塗れば治る、、、飲めば治るのQ&Aではなくて
仕組みから考えていく。
だって、獣医さんに聞いても、アメリカの業者に聴いても
答えが返ってこないのは、答えがキットないんだと思います。
もちろん獣医さんのウルソ利用の返答はありますが
それで良くならないからこの飼い主さんは困っていて
私が欲しいのは結果が出る方法なので、
治らない返事はまあ、望んではいません。
その方法が良くならないというのはわかりましたけど。
それが1998年、、、フェレットの第二次ブームは1995年くらいで
4歳を迎えるのが1998年頃でしょ。
それまでは病気の話は聞いても
そういう事があるのかな?程度で
こんな確率で病気になるとは思っていなかったんですよ
次々に病気になっていく。しかも治せない。
だから、急いで治し方と、予防方法をみんなに伝えないとと思って
探してもなくて、ずっとその頃は本を読んでいたりしていました。
徐々にわかるようになるわけですよ。
でもその頃から、あれ?なんで獣医さんは理解できないのかな?
クエッションマークが会話の度に頭に登ります。
私はいろんな動物病院で診療を受けていました。
病気になれば地元の病院に行きますが
限界を感じたら、東京の病院にも言っていました。
2000年からは川崎でお店をやっていたので
東京神奈川のいろんな病院で診療を受けていました。
で、本を元にこういうことが書いているけどと
話をすることもありましたが、
獣医は?????と言う感じ。
今にして思うと、私が20代の時の獣医さんは30代くらいかな?
知らないことは知らないってことだけなんですが。
知らなくてもいいのですよ。
未知との遭遇で、知るきっかけになって
調べたり、検討して正誤を付けていけばね
その繰り返しをすれば知識は増えますでしょ。
その2000年頃に思ったのは、
獣医さんは獣医さんのアプローチで病気と健康に向き合えばいいから
私は分子栄養学で仕組みを探そうとして獣医学を習得するのではなく
獣医学も学びますけど、そこにズッポトすることは辞めました。
だって、答えがないんだもの。
きっと、世界のどこかで治療方法予防方法が発明されて
獣医さんを通じて日本でもフェレットの幸せに役に
立つことがあるだろうと。
私は、フェレットと日本人が幸せに暮らせればいいので
そうなれば、生体輸入販売を頑張ればいいのですが
それができる段階にないと思ったので2000年で
生体輸入を辞めていくことになりました。
いつでも戻れますしね。
今にして想うと、獣医さんがその後20年やっても
フェレット見つけられなかったのだなーと思います
治る病気、治せる病気、治す病気の違いです。
私は栄養、、、身体の材料を過不足なく整えて
フェレットが自分自身で健康を掴んでいく生命力を信じています。
もう少し言うと多くの病気は飼い主さんが栄養不足にしている結果
だと考えています。
もちろん栄養状態が良くなっても病気は治らないし
病気の予防もできないのですが、確率が違います。
何故フェレットが病気をしていくのかと言うと
栄養需要の変化が起こることで
それまで健康を維持していた栄養補給量では足らなくなり
足らない状態が続くことで病気として症状がみられると考えています。
それは栄養管理をして健康を取り戻すのは
栄養素の物には病気を治す指向性はないのですが
栄養を使い健康を取り戻すフェレットに
強い生命力があることを意味しています。
これは工事現場にいろんな材料があるようなのを思い浮かべてください
材料は体でいうと栄養素、栄養素は体の材料。
現場に材料が有っても、建物などはできていきませんね
材料を用いて作る作業員、計画をする監督などがいて
材料が形作っていきます
栄養素は体の材料ですから、それを整えると体の中の
作業員である酵素が、監督であるホルモンなどが
健康を維持するために栄養素を活用しだします。
材料が足らないと、作業員も監督もいても何もできません。
また、材料が有っても、作業員も監督もいなけば
そこにいつまでもあるだけで何もなりません。
栄養素に指向性がないというのは
栄養素を入れれば健康を保つ、、、
栄養素を入れれば勝手に建物ができるというような
働きはないという意味でお話をしています。
作業員や監督、、、酵素やホルモンなどの存在が
栄養素を必要なものに作り上げる状態を
私は生命力と表現しています。