|
テーマ:私の読書(24)
カテゴリ:本
動くものをすべて殺せ ニック・タース 2015年
アメリカ兵はベトナムで何をしたか 1965年からベトナムでアメリカ軍は対共産主義との闘いとして戦闘を本格化したが、それに伴ってとんでもない戦争犯罪が広範囲に頻繁に繰り広げられていたことが明らかにされている本だ。 アメリカは、ベトナムの独立運動については、フランスや日本とゲリラ戦を戦うホーチミン等にOSSが武器を供与し、軍事訓練を支援していた。1945年にホーチミンが独立宣言した後は、トルーマンは、フランスの再征服を支援し、1953年にはフランスの戦費の8割をアメリカが肩代わりするまでに関与を深めたそうだ。 後年、中東でやったことと同じことをしていたようだ。 フランスが劣勢となり、遂に引き上げると、アメリカはベトナムの専制的な君主を支援し、1962年には一万人を超える兵を軍事顧問の名目で進出させたそうだ。 1965年には、共産主義との闘いとして戦闘が本格化していく。1969年には、54万人の米兵、その他に韓国、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピンの軍が参加するまでに拡大したそうだ。 1975年、革命軍がサイゴンを陥落させて戦争は終わるが、この間にベトナム政府によれば、ベトナムの軍人は、100万人、民間人は、200万人が殺されたそうだ。正確な数字は不明だそうだが、2008年のハーバード大学の調査では、全戦没者は、380万人との報告もあるそうだ。 著者は、2001年に国立公文書館で別の調査をしている際に、国防省の特務班によるベトナム戦争犯罪作業部会の記録を読み、そこには、300件以上の犯罪通報、調査記録があり、殺人、虐殺、婦女暴行、襲撃、遺体破壊などの事件報告書、宣誓陳述書などの告白が保管されていたそうだ。これらをもとに、更に情報公開請求を続けながら、100人以上に聴取を重ね、本書をまとめたそうだ。あまたのベトナム戦争の出版物があるなかで、軍の捜査記録に基づく戦争犯罪の本は初だそうだ。 本書で告発されている内容は、凄惨で残虐で身勝手で猟奇的で、人間のおぞましい所業として極悪の頂点に達するものだ。これらの行為は、アメリカ兵個人の逸脱行為などではなく、軍の方針としてアメリカ兵から逃げる民間人は殺害するとした結果であると結論されている。 アメリカ軍は、殺害数を戦功の指標とし、ノルマを課して指揮者と兵を煽ったそうだ。非戦闘員の虐殺も偽装して戦果とし、指揮者の叙勲や昇進のためには非武装の民間人を殺して点数を稼ぎ、昇進をはかる軍人達が黙認されたそうだ。自由射撃ゾーンなる地域を軍が設定して、そこでは逃げる者は敵と見做し、民間人、女子を殺害しても責任はないとしたそうだ。 農作業をする人々、村に留まる人々に対して、攻撃ヘリで低空ホバリングして威嚇し、突然サイレンを鳴らして逃げさせ、機銃掃射して殺害する。「来る日も来る日も、毎月、毎年、延々と民間人を殺し続けた」そうだ。 問題となり、上院で行われた調査報告では、1968年までに自由射撃ゾーンで殺された民間人は30万人とされていたそうだ。それでも、アメリカは止めなかったそうだ。 ウエストポイント卒のエリート将官達は互いにかばい合い、犯罪を結託して隠蔽し、有罪の犯罪者でも刑期を軽減し、遂には逃がす。40年後、アメリカが起こした史上最悪の金融犯罪でも、犯罪行為に及んだ全員が処罰から逃げ切り、蓄財しぬいた。名門大学出身のエスタブリッシュメント達のつるんだ腐敗の構図と同じだ。 アメリカ軍は、ベトナムに広島の640発分に相当する破壊力の爆撃を加え、砲撃の着弾孔は2100万個に及び、撒かれた枯れ葉剤は7000万リットル、それを浴びせられた人間は480万人だそうだ。 農村は破壊され、焼き払われ、生態系は壊れ、人々は故郷を奪われ、難民化させられた。都市に逃げた民間人も攻撃され始め、都市も壊され、無抵抗を示しても捕虜にはせず殺害してノルマの充足に加算された。 ベトナム人を人間扱いせぬ態度は、政府要人から、軍の教官、士官、指揮者、兵まで貫かれていたそうだ。メディアの告発も機能せず、組織的に隠蔽され、忘れ去られる時間がかせがれたそうだ。ソンミ村ミライ集落での村民500人の虐殺事件は、遠い異国で異常な指揮官個人がおこした逸脱行為として情報操作され、頻発していた非道な実態は隠蔽されたそうだ。 あまりにむごい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 22, 2015 03:22:32 PM
コメント(0) | コメントを書く
[本] カテゴリの最新記事
|