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テーマ:私の読書(24)
カテゴリ:本
遠い日の戦争 吉村昭 1978年
ベトナム、アフガン、湾岸、イラク、シリアと繰り返される戦争映像を見せられると、正義をかざす戦争と言われても、仕返し、腹いせでもあるかのようだし、犯罪者の矯正と言うより殺害による排除でしかない戦争もあるかのようだ。 戦争犯罪裁判も勝者による仕返しの正当化芝居である場合もあるようだし、反テロの基地やテロリストの基地でなされる捕虜の収監は、拷問の隠蔽実行であるかのようだ。 主義や政略のために民間人を殺害しても、目的のためだとして罪が隠蔽される戦争もある。戦争に付随して必ず蛮行が犯され、まさにそのような犯罪行為の塊が戦争でもあるようだ。 多くの文明が、現代においても、争いはじめたら、仕返し、腹いせをしあう、応酬する文明であるかのようだ。 70年前の日本の一般市民居住区域へのアメリカによる焼夷攻撃は、非戦闘員殺傷を狙うもので国際裁判所条例の違反であるから、その実行者は戦争犯罪人として重刑に処せられると判断し、殺害を命令し、実行した日本軍人達がいたそうだ。 日本の各地の都市ヘのアメリカによる爆撃は、老幼婦女子の焼殺となり、もはや、アメリカ軍は日本人を人間の集団として認めていないと日本人に感じさせるまでとなったらしい。九州で日本軍に撃墜された爆撃機のアメリカ軍搭乗員は捕虜として西部司令部に収監されていたらしいが、街を焼き払われた市民が、殺せと司令部に詰めかけたそうだ。女性もいたそうだ。 憲兵隊の適当に処置せよとの命に従い、秘密裏に九州大学での解剖死や斬首処刑がなされたそうだ。その間も連日、アメリカ軍による無差別都市攻撃、執拗な機銃掃射があり、学童さえも多数死亡していたそうだ。終戦が命令された後には発覚を懼れ、残った搭乗員の処置がなされたそうだ。 アメリカ軍は、爆撃機搭乗員捕虜殺害の戦争犯罪として日本の司令官、実行者たちを日本の警察に探し出させ裁いたそうだ。絞首刑は9名、終身刑5名、有期刑14名であったそうだ。 昭和32年には、終身刑の者も仮出所したそうだ。戦後、敵意は薄れ、時代に同化していったらしい。仕返しせず、腹いせもせず、恩讐の彼方にいられるようになったのか。 戦争へマスコミ・有識者・教師が扇動し、日本人が熱狂し、身を挺していた状況が、敗戦を境に、民間人を虐殺した者になびき、親しくし、軍人、政治家、財閥のみに責任転嫁する変節は、不気味だと言う。そんな考え方では、戦争の恐ろしさはわからない。物事もみえなくなると。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 7, 2016 01:48:13 PM
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