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テーマ:私の読書(15)
カテゴリ:本
賊軍の昭和史 半藤一利 保坂正康 2015年
勝てば官軍負ければ賊軍とは、現代史を言いえているそうだ。大方の歴史は、真偽のほどは勝敗に従うことになるらしい。争いとはしたたかさの勝負でもあると言う事か。 御一新とは、尊王の藩が賊軍とされ、玉を手玉に取って自らの国造りを目指した薩長が官軍と自称したという事であるらしい。戊辰戦争では、略奪・虐待が、賊軍ではなく、官軍によって賊軍の非戦闘員に対して繰り広げられたのが実態であると。強者が弱者をなぶりものにする戦争の本質は、いつの時代でもいずこの紛争地でも変わらないらしい。勝者の蛮行はやまないようだ。 陸軍、海軍とも明治は薩長派閥が支配し、陸軍はその反動で次第に反長州が働き、昭和になると長州色は消え、官軍、賊軍の差別もなくなっていたそうだ。しかしながら、官軍の思想は陸軍を支配していたそうだ。長州嫌いの東条英機は、官軍思考であったと。海軍は、限られた要員規模であったので昭和でも薩摩が主流であったと。 軍では、陸海軍大学出などの暗記成績優秀者が選抜されて支配層となり、実践経験もない者が参謀になり、国の行末よりも自己軍事組織の教条思考の貫徹に拘りぬき、政治と民衆を翻弄したようだ。玉を手玉にとって越権するその態度は、官軍的であると。陸軍悪で海軍が善玉のイメージは、流行小説の影響であって、幻影であると。 徹底抗戦、玉砕をとなえる軍人達をとどめて、日本人を自滅から救って終戦に持ち込んだのは、賊軍派であったと。敗戦・被抑圧・濡れ衣を着た祖先を持つ軍人達が滅亡を留めたということらしい。 鈴木貫太郎は、譜代藩士の子で鳥羽伏見で大阪詰めの時に生まれ、海軍兵学校を成績上位ででるも、冷遇され、戦功をあげても同じ役に留められ、賊軍としての覚悟が必要な最期に登場となり、終戦の聖断を導きだせたのだと。 濡れ衣を着た敗者が、敗者でなくなった時に日本は滅亡から辛うじて逃れられたようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 20, 2016 04:30:09 PM
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