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テーマ:私の読書(15)
カテゴリ:本
五色の虹 三浦英之 2015年
満州建国大学 卒業生達の戦後 石原莞爾の試案で設立が計られ、辻政信ら中心に骨格ができた6年制全寮制の給付金のある無料のエリート大学が新京に設けられていたそうで、驚いた。五族協和の理念で、日、中、朝、蒙、露、台の学生が集まり、言論自由で開学されていたそうだ。開戦、敗戦で激しく破綻した訳だが、卒業生同志の思い入れが永い年月をへても残ったそうで、惨事の中の奇跡のようにも思えた。 1400名の卒業生は、戦後、それぞれの母国で過酷な運命に晒されて生き抜いた姿が語られており、胸にせまる。それぞれの民族のおかれた闘いの中で、艱難辛苦の人生が記録されていた。母国への思いと、同窓生への思いは、異次元でありながら、大切にする思いに差がないことに感動する。類、種、個の、種は異なる者でも、個は親愛しえるかのようだ。 同時期に激論しあい、許し合った、相互の思考差を確認し合った人々のようだ。時を隔てても相互の親愛は残るというものだった。 敵、味方、裏切り、密告、拷問、解放、いずれも強烈な人生が語られていたが、その経験を経ても思考差を尊重し合える人格は、とても崇高だ。 若者が異民族と競い合う経験をすると言うことは、安堵のない場ではあっても人間としての力を深められるようだ。 最終戦争論 石原莞爾 1940年 日本の敗戦の姿を描き切ったような想像を開戦前年にしていたとはなんとも驚く。わかっていても力を使える立場になってしまうと、冒険的で楽天的で運命的思考になり、忍耐と苦痛を配下に強要することに抵抗がなくなってしまうものなのか。 空想的な文明史観の果てに戦争を計画していたとすると、科学的軍事学も毒になってしまうと言う事か。異民族が和するとはどういう状態をつくりだせばよいのかといくら思考していたとしても、資本の蓄積の劣る民族を蒙昧として蔑視する限り、自身の思考と行動の下での生産を他民族に強要することが正義となり、貢献と思うのが必定だったのか。 武力をもって覇権争いを始めれば、最終戦争にまで果てしなく、耐え抜いた者が優者になると達観するのか、それとも、そんな勝者はおらず決してすまいと決意するのか、どっちをとるかで未来は変わるのか。そうではなくて、力比べの勝者と敗者があるだけなのか。国益の確保を念ずる国がある限り、収奪の応酬はなくならず、報復を抑制できる国は存続できないというのが、人間の歴史なのか。 本領安堵のない世界であったようだ。これからはどうなのか。 流離人 浅田次郎 2014年 さすりびと 日本海側を走る列車内で、さすらう老人が満州に学徒徴用された陸軍少尉時代を独白し、「心配する者を持ちません。どこかでふいにおしまいになればいいと思っています。」と言い、鄙びた漁村の駅で下車していく。 南満州鉄道と東清鉄道を本隊を追ってさまよいつづける老将校、奉天、新京、チチハル、ハイラルと赴任途上の青年士官。青年将校が出頭先ごとに次の地を示されて転々とする度に、老将校に遭遇し、「戦が終わるまで迷っておれ。」との老将校に従い、戦列に加わらぬ者への怒りを忘れて生き残ることを選んだ話。 人が消耗品であること、建国が幻であることをあばいているかのような、もの悲しい物語だった。 蚤と爆弾 吉村昭 1970年 ハルビンの奥の草原に広大で巨大な隔離施設を設け、3つの滑走路を備え、細菌兵器の人体実験、野外実験、培養・製造、保管が繰り広げられたそうだ。ソビエト侵攻により、発覚を恐れ、自ら爆破・埋設隠滅・閉鎖するまでに犠牲者は3千人に及ぶらしい。従事していた科学者、軍人、軍属も3千人らしく、アメリカの原爆開発には及びないが、同類の残虐無差別殺戮兵器の開発が実現、成功していたそうだ。 いち早く、日本に帰還した関係者達は戦犯を懼れ、口を閉ざし、互いに顔を背け合って生きていたらしい。 五族協和の理念と、大量無差別殺人兵器開発の論理が、同時にあったわけだが、殺戮手段の科学的探求欲を実現しきる恐ろしい所業には、理念と行動が破綻していても行動を正当化できる人間の欺瞞に満ちた性根が露呈している。 建国大学の設立も、施政手段としての教育を社会科学的に探究した結論であったのかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 6, 2016 12:02:53 PM
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