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カテゴリ:本
吉村昭の「ポーツマスの旗」で描きだされた小村寿太郎の人物像は、物・身なりへの執着はなく、質素で孤高な私生活を送り、家庭環境には恵まれず、自らの家庭も破綻し、職務においては舌鋒鋭く毒舌なるも、忍耐強く、限りなく献身的との印象だった。
「冬の鷹」の前野良沢、「間宮林蔵」、「海も暮れきる」の尾崎放哉も、時代、仕事は違うものの、似た人物特性のように思う。「白い航跡」、「光る壁画」では、海軍の高木兼寛、オリンパス社の技師達の信念が迫ってきた。いずれの人物にも共通している点は、職務へのかぎりない献身と思う。 この世には、私事を捨て職務に献身する人間がいるということを明らかにしていると思う。 戦略的に正しい職務の遂行も、メディア・主義者の煽動により民衆には理解されず、社会の騒擾を生んでゆく様子が「ポーツマスの旗」でも描かれている。世論がやすやすと変転し、献身した者を貶めてしまう愚挙の歴史を知ることとなり、やるせなくもなるが、これと戦い職務を全うした人間の実存も事実であり、その事績には救われた気になれる。 現代においても世論を騙る策動の数々が、新聞、テレビで流され続けており、憤りを感ずる日々だが、ネットワーク上には、職務への献身を事実として知れる媒体もあり、誤った情報による社会騒擾を回避できる可能性は確保されている。 しかしながら、イデオロギーや特定の勢力の都合に合わせた情報操作の事例がネットワーク上でも頻発しており、これらを識別、抑止するには、事実を知りえる発信源をネットワーク上で支援し、守っていかなければいけないとつくづく思う。 同書の巻末の解説で粕谷一希は、明治は、国家理性、国家意思を見事に形成したが、「民衆に石を投げられる中で、自己抑制に生きた小村と明治国家は崩壊し、松岡洋右のような派手なスタンド・プレーヤーが昭和国家に出現していった。」とあった。 中国からの新型ウィルスによる被害の防止取り組みに対して、無責任な批判や煽動に終始するメディア、政治勢力をみるにつけ、繰り返される愚かな構図に寒くもなるが、ネットワークで調べればそれら勢力の底は簡単に知れる。 今では、ネットワークの情報の中にこそ、信ずるべきメディアがあると思えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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