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カテゴリ:本
吉村昭の「高熱隧道」は、過酷な計画を仕上げきる人々、その人々を駆り立てた力の凄さ、怖さ、凄惨さ、そうした格闘が克明に描かれていたと思う。人の力が極限で揮われた時の実相を見せつけられたようで、読後には深い深呼吸が必要だった。
「闇を裂く道」は、丹那トンネルが、艱難辛苦の末、人々の献身と犠牲と救済により、なんとか仕上げられていく様子が記録されていた。日本に課せられた宿命に向かって人々がそれぞれに発揮した力が記録されていた。 崩落、出水、地震、環境被害のたびに、調査、計画、協議、試行、評価、決定、推進、点検、調査、計画修正、協議、試行と、幾度となく調整がはかられ、完成に近づいていった道のりは苦難に満ちている。それらに対峙した人々が丹念に描かれている。黒部の秘境での隧道工事の雪崩にかわって社会影響への対応が課せられていた。 芦ノ湖の三倍の水を排出し、丹那盆地の水田、ワサビ田を涸らして酪農地に変貌させたとあり、これによって得られた鉄路の社会への貢献は、末長く、今や一世紀に及ぼうとしている。先人の払った犠牲と献身の有難さは計り知れない。 吉村昭のあとがきに、両親の出身が静岡で、車窓から碑を見て執筆を決意したとあった。先人が残したものの意味を知ることは、未来にとって欠かせず、記録文学の素晴らしさを再確認した。 丹那トンネルは、新丹那トンネルにも結実していったことも書かれていた。時速200KMの蒸気機関の弾丸列車計画として、丹那トンネル開業から7年後の昭和16年に新旧並行すること50メールで着工されたとある。機関車は、島秀雄の設計と。 この建設の記録映画が見れた。吉村昭が描いた通り人の力の賜物であることが目に見えた。予算超過の責任をとった十河と共に新幹線のテープカットの式典に招待されなかった島技師も貫通式には登場している。時を経てつながっていく事績につなげていった人々を思った。 日本一短い鉄道トンネル・樽沢隧道 吾妻線移設部 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 6, 2020 07:28:39 AM
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