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2022年07月16日
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カテゴリ:遠州の報徳運動
八 報本社
1 所在地
2 沿革
3 組織
4 事業
一 貸付
二 風教
三 殖産興業
四 水利土木
五 善行者賞励
六 時局に対する施設
5 本社、支社社員数及び資産
6 創設者新村里助の小伝
7 現任社長の履歴
1 所在地
遠江国周智郡森町四八〇番地
2 沿革
遠江における報徳社の始めは遠く嘉永年間にあり、当時周智郡森町の人、新村豊作が有志を集めて一社を組織した。森町報徳社がこれです。以来結社が相次いで明治初年の頃、その数は大いに増加した。しかしこれを総括する本社はなかった。明治五年に福山滝助が遠譲社を組織するにあたって、新村豊作はこれに入社した。明治八年岡田佐平治が遠江国報徳社を結社するにあたって、またこれに入社した。しかしその報徳金の取扱いに関して、滝助と佐平治と意見が異なり、ついに分離のやむなきにいたった。明治一七年佐平治の長男岡田良一郎が遠江国報徳社の無利息扱いを全廃しようとして、現社長の新村里三郎が遠江国報徳社の役員だったが反対した。明治二十八年になって遠江国報徳社が無利息扱いの全廃を決定すると、里三郎は断然意を決し同社を退いたところ、相次いで退社したものが二五社に及んだ。皆無利息扱いを本旨とするものです。そこで互いに相談して一団となった。これがすなわち報本社です。当時は純粋な社団ではなく、ただ二十五社の有志社員が報徳の道を研鑽する機関に過ぎなかった。明治三十二年民法の施行の際に社団法人の許可を受けて、以来専ら支社を管理しているところです。
3 組織
当社は二宮尊徳の教義を奉じ、勤倹推譲の道を教えることを目的とし、その目的遂行のため善種金、土台金、預け金の区別がある。善種金とは二宮尊徳より下付されたいわゆる善種は善果を収めるという意味で、受ける者からいえば善種金で、授ける者からいえば土台金です。すなわち本社から支社へ下付するときは土台金となるものです。土台金は社員の寄付金よりなる。預け金(加入金)とは、社員の随意に預け入れるものをいう。社に巡回講師を置いて各社団を巡視し、報徳の講義その他有益な演説講話を行う。また毎年一回社員の集会を開いて、報徳の道の研究を行い、あるいは支社で特別の事情があるものに対しては総会の決議によって本社資本の無利息貸付を行う。
4 事業
本社は各支社を監督し、必要に応じて、支社に対して資金の貸付を行う。支社は毎月一回社員の集会を開いて報徳の道の研究を行うのはもちろん専ら知識の交換を行い、また土台金・加入金の積立を行わせ、一つには風俗を正しくすることに役立たせ、一つには平時における殖産興業のために、社員に金融の便宜を得させることにある。なお、社員に余業として縄やワラジを作製することを奨励し、専ら分度外に零細な貯蓄を行わせている。現にこれを実行している支社は二五社に及ぶ。
一 風教
報徳の本旨は道徳を進めるとともに経済の発達を主とするために、講師に各社を巡回させ、報徳の道に関する講話を行い、専ら社員を導き助けることで風俗を改良し徳義心を養成することに役立つところが少なくない。
二 殖産興業
産業を興し農事を奨励することは主な事業でこの概況を挙げる。社長新村里三郎自ら田五反歩を出し、各種の試作を行い、成績の良好なものを移して社員に実行させ、専ら農事の模範とした。また当時挿秧法〔そうおうほう:苗のさし方〕の整理が正しくなく、除草その他に困難であることをわずらい、安居院庄七の発明に係る挿秧法〔正条植え〕の実行を企画し、定規植えを奨励した。それから広く行われるようになった。なお重要物産の一つである茶樹栽培の必要を認めて森町字森山に茶樹を栽培し茶園の模範とした。明治八年小麦の改良を図り、当時の浜松県に出願して支那種の下付を受け、これを社員に分与し栽培させたという。明治十五年農商務省の技師西沢伝次郎より、稲藁で肥料を栽培する方法を習得し、これを大門報徳社員木村某に伝えた。以来各所の農家でこの肥料が行われるようになった。地方物産を盛んにする目的で、資金一万円で物産販売委託合資会社を起こし、茶及び椎茸の売買を行った。また東京の日本精製糖会社は森町の鈴木藤三郎が創立したところですが、藤三郎は初め資力が微弱で事業を起こすのに困難だったので、新村里三郎が大いにこれを助けた。その報酬として藤三郎より当該会社の株券の贈与があった。伏間報徳社では社金三六〇余円で山林を購入し、共同事業として樹木を植えつけて、この下刈り手入れ等は社員が交互にこれを行っている。
三 水利土木
袋井及び掛川より森町に通ずる通路に太田川がある。これに架かる森川橋は私人の所有で橋銭を徴収したため、当時の人々はこれを不便とした。報本社社長は森町有志と協議して、金三六〇円で橋を購入し賃銭を廃止し、人々の便を図った。また小笠郡原田町より森町に通ずる里道太田川に橋梁がなく、不便少なくなかったことから、明治十二年に森町天城忠三郎等有志とともに金五〇〇円を費やして、橋梁を架設し里人の便をはかった。明治二十二年に小笠郡原田村より森町に通ずる里道里余を改築し、道路の改良を行った。その他、用悪水路の改さくを行うことが少なくない。
四 賑恤(貧困者などを援助するため金品を与える)
引佐郡中川村刑部報徳社員八名が貧困に陥って負債の償却の道が立たなかった。そこで同社の求めをいれて理事を派遣してその家政を整理した上で、無利息金を貸与した。今なお返済期間中です。周智郡一宮村大字五川字伏間区は戸数一三戸の小部落で極めて寒村でしたが、現社長松尾幸七は早くから報徳社員となり、明治一三年から同三四年に至るまで無利息金の貸与を受け家政を興復するとともに、部落に報徳の道を盛んに広め、山林に共同樹植を行った。また同社員松尾某は、元は多少の資産があったが家が衰退し、明治十五年になって三六〇円の負債を生じ、財産全部を売却し、なお不足したので報徳社で金一七〇〇円を貸し付けてすえおき、勉励貯蓄を行わせた。その効果は空しくなく、五年後には負債を完済し、今日では相当の資産を有するようになった。このように貧困窮乏して自立ができないものは、その状態がどうであるかによって、その救助の方法は異なるが、報徳の助けによって家政を興復したものは百余人に及ぶ。
五 善行者奨励
明治十九年に支社の社員の中より善行者三〇名を選抜し、各々鍬一挺を賞与した。明治三四年に支社社員より功労者五名を選抜し、賞品を贈与し、かつ創立者に銀杯を贈与した。

5 本社支社社員数及び資産
社  名  所在地   社員数 人
報徳報本社 周智郡森 町 80
森町報徳社 同 郡同 町 25
草ヶ谷報徳社 同 郡園田村 27
中村報徳社 同 郡宇刈村 40
園田報徳社 同 郡園田村 51
大鳥居報徳社 同 郡天方村 8
大日上組報徳社 同 郡宇刈村 24
森本町報徳社 同 郡森 町 12
森町下組報徳社 同 郡同 町 23
市場報徳社 磐田郡熊 村 12
伏間報徳社 周智郡一宮村 15
上川原報徳社 同 郡園田村 6
谷中報徳社 同 郡同 村 32
鍛冶島報徳社 同 郡天方村 17
雨宮報徳社 同 郡同 町 27
大門報徳社 同 郡同 町 22
向天方報徳社 同 郡同 町 45
土橋報徳社 磐田郡山名村 27
吉岡報徳社 同 郡原谷村 42
西山報徳社 周智郡久努西村 42
寺島報徳社 同 郡原田村 30
家田報徳社 磐田郡敷地村 12
平島報徳社 小笠郡原田村 30
豊沢報徳社 磐田郡笠西町 38
長北報徳社 浜名郡小野田村 26
中新田報徳社 志太郡大富村 50
祝田報徳社 引佐郡中川村 38
勧善社 浜名郡天神町村 24
笠原報徳社 小笠郡笠原村 26
助宗報徳社 志太郡稲葉村 28
堀ノ内報徳社 同 郡同 村 20
宮原報徳社 同 郡同 村 21
寺島報徳社 同 郡同 村 18
計 33社 同 郡同 村 904人

写真の説明はありません。


💛当初、本社支社社員数及び資産 は省略するつもりであったが、せっかく「静岡県報徳社事蹟」を作成するからと、エクセルで作成した表を張り込んでいる。
「ベテルギウス」優里の歌にある。
「誰かに繋ぐ魔法」と。
報徳の教えと静岡県報徳の師父の実践を、のちの世代の誰かにつながるよう、「魔法の言葉」を唱える(^^)





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最終更新日  2022年07月16日 20時37分28秒
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