報徳積善社 相川報徳社 勧農報徳社 江留報徳社
「静岡県報徳社事蹟」十三 報徳積善社1 所在地 静岡県志太郡大富村中根四十九番地2 沿革 明治七年二月同意者を募り報徳積善社を結成し、同三十六年六月七日法人の許可を受く3: 組織 故二宮尊徳の遺訓に基づき報徳の事業を立て、兼ねて殖産工業 を目的とす。報徳金に縄索加入金・特別加入金・善種金・元恕金・別途積立金あり。これらには各自の随意積立並びに共同積立金の二種ありて、これら報徳金は貸付又は社費に支払われるものとする。4 事業 創立以来各社員の勤倹貯蓄を奨励し、風俗の矯正、報徳の発達を図るため、専門家を招いて時々講説を行わせた。また農業につとめる者または衆人の模範となる行為あるものに対しては賞与を行い、以て奨励の道を講じる。なお毎月一回報徳会を開いて報徳の道の講究並びに報徳金の積立を行い、毎年一月社員に無利息貸付を行う。5 時局に際しては勤倹節約を主とし、自営の道を講じたのみ。6 社員数及び資産 社員四十六名 資産金四千六百九十五円九十九銭です7 創設者塚本薫平 安政四年八月生まれる。世々農を以て業とする。近藤準平(*1)、曾我耐軒(*2)等に従い漢書を学び伊佐岑満(みねみつ)(*3)、萩原正年に就いて国書を学ぶ。中年に及んで東京慶応義塾に入って英学を修める。明治七年福住正兄著「富国捷径」を閲覧し、報徳結社の必要を感じ、郷党の有志とはかり報徳積善社を創設し、遠江国小笠郡倉真村岡田佐平治、駿河国安倍郡大里村石垣作兵衛等に親しく接し、報徳の道を研究して社員を導き助けた。当時、西駿地方報徳結社のことはなかったので、この社を以て一番始めとする。薫平は創設以来社長となり、自宅を以てその事務所にあて、この監理の任に当たる。明治十六年志太益津郡書記に挙げられ、以来二三の郡衙(ぐんが:郡役所)に歴任した間にも帰省して社務をみることを常とした。8 現任理事は塚本伊兵衛、松本治之、塚本廣吉、塚本七右衛門の四人である(履歴は略す)。*1 近藤 準平(こんどう じゅんぺい、1841年 - 1900年8月4日)は、明治時代の政治家。内務官僚。衆議院議員(1期)。浜松藩儒・近藤大三郎の嫡子として、遠江浜松藩領長上郡、のちの有玉村(静岡県浜名郡有玉村、積志村を経て現浜松市東区)に生まれる。岡崎藩儒官となり文学を教えたのち帰郷し、小学校の教員となる。1874年(明治7年)内務省に出仕し、千葉県少属となり、1877年(明治10年)帰郷し、副区長、区長、大区会議員などを経て、1879年(明治12年)静岡県会議員に当選。同副議長を務めた。同年、演説結社浜松己卯社を立ち上げ同社長となり、さらに藤枝に扶桑社を創立し議長となり民権思想の普及に努めたが、同年末には再び官吏となり静岡県に奉職した。1881年(明治14年)志太・益津郡長、1886年(明治19年)引佐・麁玉郡長を歴任した。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では静岡県第6区から出馬し当選。議員集会所に所属し衆議院議員を1期務めた。のち周智・小笠郡長を務めた。*2 曾我耐軒(そが-たいけん)1816-1870 幕末-明治時代の儒者。文化13年9月11日生まれ。春田九皐(はるた-きゅうこう)の弟。江戸昌平黌(しょうへいこう)で古賀侗庵(どうあん),松崎慊堂(こうどう)にまなび,老中水野忠邦(浜松藩主)につかえる。のち三河(愛知県)岡崎藩につかえ,明治2年藩校允文館の文学総括に就任。明治3年9月20日死去。55歳。江戸出身。本姓は春田。名は景章。字(あざな)は子明,子直。別号に詩仙,蘭雪。著作に「耐軒詩草」「幽討余録」など。*3 伊佐 岑満(いさ みねみつ) 15歳の時に幕府金同心見習となり、その後、下田奉行、具定奉行、海軍奉行等の幕府の要職を歴任しました。岑満は、若くして書、仏典、漢籍を修め、短歌や蘭学も習得しており特に書は小島成斉に師事し、通称は新次郎、如是(にょぜ)と号し、草書を得意としました。岑満の書の名声は高く、幕末の三舟、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟に書を教授、金原明善等の明治の逸材たちも数多く岑満から学んでいます。岑満は、明治元(1868)年駿府に移り、明治9(1876)年牧之原移り住みます。牧之原への入植後は、67歳という年齢のため開墾には従事せず、開拓士の子弟に塾を開いて教えるようになり、私塾は明治23(1890)年頃まで続いたと言われています。岑満は、明治24(1891)年11月82歳で卒去十四 相川報徳社1 所在地 静岡県志太郡相川村相川乙六十二番地2 沿革組織及び事業 明治三十五年一月創立。同年十月法人の許可を受け、故二宮尊徳の遺法を遵守し、報徳の事業を立てることを目的とし、土台金、善種金の二報徳金がある。その他加入金及び貯蓄金の二種がある。いずれも余業縄索または勤倹より生ぜさせるものとする。そして土台金を賞与恤救・道路修繕・勧業及び社費等に充用し、善種金を社員の出精者奨励のため又は農業商業の営業資本として貸付けることを常とする。事業としては、ただ節倹を主とし春秋二回部落道路の修繕を行う。また毎月一回社員の集会を開き、報徳に関する道義の研究、農商工業改良の方法を講演するのみ。時局に際しては社員中出征したものに対して善種金積立を補助したという。3 社員数及び資産 社員二十六名 資産金四十円九十銭一厘4 創設者は川村彌平、瀧井久次郎、瀧井千代吉、森下万次郎、川 村春吉、森下勝蔵の七名とす(履歴略す)5 現任理事長 川村彌平である。十五 勧農報徳社1 所在地 静岡県磐田郡笠西村愛野八十五番地2 沿革 従来俗にいわゆる子待庚申(ねまちこうしん)なといういうものを廃し、明治十一年十月始めて勧農社を興し、規則を設け以来報徳の事業を行っていたが、三十一年に至り規則を改正し三十六年一月十四日勧農報徳社と改称し、同年八月二十九日法人の許可を得た。3 組織 故二宮尊徳の遺教により報徳の事業を立てることを目的とする。s社の附随事業として予備金・余力金・補助金を社員賞与、貸付金、損害補償金、勧業、恤救、社費等に支払う。その他の金円を農工商業資本のため、社員の申出により年賦貸付を行い、あるいは地所を購入し又は預金として利殖の道をはかった。4 事業 毎月一回社員の常会を開き、予備金、余力金の積立を行い、毎年一回社員の総会を開いて、収支清算を報告し、講師を招いて、道徳上の講話を行う。なお五か年もしくは六か年ごとに精業善行等の者に賞与を行う。5 時局に対する施設としては御料地を借受けて植林の計画中である。6 社員数及び資産 社員数 百三十六名 資産金 千九百九十八円三十三銭八厘7 創設者は戸倉藤四郎、戸倉吉十郎の二人とする(履歴略す) 8 現任理事社長 桑原太三郎である(履歴略す)十六 江留報徳社1 所在地 静岡県志太郡相川村下江留九十七番地2 沿革組織及び事業2 沿革組織及び事業 明治三十二年十月の創設で、故二宮尊徳の教えにより報徳善種金を積立て、縄を索(な)い、徳を子孫にのこすことを目的とする。社に土台金・善種金の二種がある。定款の規定によって積立又は貸付等の事業を行う。また毎月一回定日に集会し、報徳に関する道義の研究を行い、兼ねて善種金、善種縄を積み、時として米を積むことがある。6 社員数及び資産 社員数 二十名 資 産 六百四十八円十四銭四厘7 創設者並びに現任理事 多々良治郎吉(履歴略す)