20年掛かった要望
雨のお陰で時間が空き、ラグビーの県大会のテレビ放映を見ながら、のんびりと過ごしている。次男は、早く帰宅できたと・・・ コタツでお昼寝。きっと、何時間寝ても足らないのだろう。その次男が4年前に卒業した小学校。自宅から2キロ。県道を2本横断するが、信号機は一つも無い。しかし、その1本の県道は旧町内で、国道に告ぐ交通量。スピードもかなり出ている。ここを、登校時に横断させることは、コワイ。立哨当番は、2名体制でないと難しい。この状況であれば、もちろん信号機の設置を要望するところだろう。私が、PTA会長を受ける前から要望を出していたが、中々・・・通学路の変更も検討したが、学区の外れなので児童数が少ない。県道の反対側の子供たちが、一人で数キロ下校することもありえる状況になってしまう。何度も、PTAと子供会育成会の役員会を開き、検討を重ねた。通学路の変更をせず、登校時は大人が必ず立つことにする。しかし、毎日立つと言う事は、2週間で3日当番が来ることになる。勤め人も居るし・・・・そこで、交通指導員を毎日配置してもらえるように交渉。教頭先生の計らいもあり、何とか良い方向に進むが、お役所仕事・・・年度替りには、勝手に変更されることも・・・その都度、役場にお邪魔させて頂き(怒鳴り込みとも言うかな?)、納得いくまで話し合いをしてきていた。会長の2年任期中に、会長名で1通、地元5自治会長と中学P会長の連名で1通の、要望書を提出してきた。「誰かが死ななければ、信号は設置してもらえない。」と保護者から言われることもあった。その要望していた 信号機が設置された!約20年間がんばった、血と涙の結晶だよ。数日すれば、始動するのだろう。ワクワク ワクワク しちゃうわ。