【捕らぬたぬきの皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)】
まだ捕まえてもいないのにタヌキの皮がいくらで売れるか考えると言うこと。
俺は今まで捕らぬたぬきの皮算用で夢は・・と語ってきた。
あまり確かではないことに期待するのは夢と言えるかも知れないけど、
不確かなことが成立したそれから先のことまで計画することを言っていた。
結局俺は今、子供のころ軽蔑していた人間に成っている。
タイトル…いるか?さんの記事を読んで俺の親父が去年亡くなったことを思い出していた。
子供の頃、俺は親父が嫌いだった。
だから、酒も野球も嫌いで親父のことをあまり見てはいなかった。
一度、親父との折り合いを考えて少年野球のチームに入ったことがある。
小学2,3年の頃だったと思う。
その頃、近所の屋根や塀の上を忍者になって走り回っていたけど、正式なトレーニングや体育の授業もまともに受けていなかったから腕立て伏せのやり方も知らなかった。
そんな俺は少年野球の腕立て伏せで皆が「ひぃ~ひぃ~」言いながらやってる中で笑いながら腕立ての姿勢で腰だけ動かしてた。
親父とキャッチボールをした思い出はそんな時期にある。
こんな俺でもしっかり覚えてるのは、子供の俺に力いっぱいボールを投げてきて笑ってた親父のこと。
腕立てのやり方は知らなかったが、日々、子供達の抗争の中で口だけは達者になってたつもりだ。
俺「大人がそんな力いっぱい投げたら痛くてとりたくないだろ!」
父「このくらいで投げないとボールが届かないぞ!」
俺「いいからもっと遠くへ行け!」
父「そしたらもっと力いっぱい投げるけどいいのかぁ~!」
こんな感じで傍から見たら「なんだありゃ?」という恥ずかしいキャッチボールをした。
結局、俺たち親子のキャッチボールはボール拾いだった。
去年の秋の成り始め。
弟から珍しく電話があって 「親父がもう危ないから見舞いに行かないか?」
ということで一緒に病院へ行くことになった。
十何年ぶりだろう?
弟に言われるまで病院のベットに寝ている親父を見つけることは出来なかった。
親父も弟が友達を連れてきたと思ったと笑った。
「再会する前に会ったのは中学の頃だったよなぁ・・。」
そのとき、最後に会ったときの記憶が合致しなかったのは親父が最後に俺を見たときと俺が最後に親父を見たときが違うからだと思った。