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カテゴリ:旅・風土記
下関(山口県)といえば高校入試で2度重要です。
1つは源平の最後の戦いとなった「壇ノ浦」。 それから、もう一つが日清戦争の講和条約である「下関条約」。春帆楼という料亭を使って結ばれました。 「下関条約」と書くなら正解できても「下関の位置を地図中のア、イ、ウ、エから選びなさい。」となるとガクッと正答率が下がります。 歴史の問題は地図と一緒に出すとホントにできませんよね。 中学の日本史だと人名は重要でなかったと思いますが高校の日本史では中国側の代表の「李鴻章」というのを何度も書いて覚えたような記憶があります。 下関は本州の西の端です。九州とは地下トンネルで歩いていけるくらいの距離です。 イメージとしては本州→九州というと東→西だと思われがちですが、ここは地形が入り組んでいて本州→九州が西→東なんですね。なんだかとても不思議な感覚になります。 また観光ガイドでは門司(北九州)から下関(本州)を眺める夜景の方が取り上げられていることが多いですが、個人的には下関から門司の方を見る夜景の方が美しく感じられます。 北九州も最近はコロナ騒ぎがあり、天候も心配ですが、日常が戻る日にはぜひ一度。 関門海峡。日本海と瀬戸内海を見回すことができる日本の絶景の一つかと思います。 本州⇄九州は歩けます。(海底トンネル) ちなみに本州⇄四国も歩けます(しまなみ海道)。そちらは60Km以上あるのでまだ自転車乗りだった頃に自転車を使いましたが… 長くて細いのでけっこう圧迫感はあります。 下関条約が結ばれた料亭「春帆楼」跡。 意外と条約を結ぶ会議の参加者は少ない。 日本側は伊藤博文と陸奥宗光。 陸奥宗光は坂本龍馬のお友達です。 幕末の動乱から約30年も経っているわけです。 やはり歴史上の人物も生き延びないことにはと思わされます。 陸奥も維新後に長く投獄された時期があったりで必ずしも順調というわけではなかったのですが高い能力ゆえ1894年の不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃)など現在の中学校の教科書にも重要語句として名前を刻んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.13 11:57:13
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