ニートからの脱出
ニートについて思うこと ニートの定義は、文芸春秋社の「日本の論点」によれば(1)高校や大学などの学校及び予備校、専修学校などに通学しておらず、(2)配偶者の居ない独身であり、(3)ふだん収入の伴う仕事をしていない、15歳以上34歳以下の個人とされて居ます。そして、現在、ニートは52万人くらいで、2021年には,ニートが200万人を超えるのではないかと予測されて居るようです。この場合,税収減が一兆一千四百万円くらい、社会保険料減が一兆九百億円くらい、可処分所得減が五兆八千億円位になると,予測しているようです。そしてこれらの人々が高齢化することによって,生活保護の対象となるなど,社会経済に与える影響は甚大なものがあります。こう見てくると,どうしてこんなにもニートが増えるのか,その原因が知りたくなる者です。極論になりますが,私としてはどうも、自主性を尊重するという名目で学校教育が施され、親も子の自主性を尊重することが,いかにも民主的な親であると誤解しているところにあるのではないかと思うのです。その付けが現今のような親子のいろいろな事件が発生している原因にもなっているように思います。子の躾は,家庭が中心で,学校は,あくまでもその手助けをするところです。私たちの小さいとき,親は,箸の持ち方、食事の仕方、他人への気遣いの仕方等々いろいろと,事細かに注意をしてくれました。学校給食が始まってからと言うもの、子弟の食事の仕方が急激に代わったように思います。私の子供もそうでした、渡り箸、ねぶり箸を平気でやってましたので一度、何も言わずに子の目の前の食事を払いのけてしまったことがありました。子供が泣きながら聞くので,説明をすると「,学校では,そんなことでは注意されない」と言われたときは,もう悲しくなるやらしゃくに障るやらで激憤したことがありました。例を食事に取りましたが,その後食事のマナーは,和食のマナー、和の中でも懐石のマナー、洋食のマナーを子供たちを実際にその場を経験させることにより,理解してもらいました。私は,子供たちの小さいとき,自主性とか,自発性とかそんなことは一切考えませんでした。「一定の型」を教えることに躍起となって居たように思います。成長した我が子を見るとそれで良かったのだと,納得しています。「人間は,なぜ働くのか」も話合って来たように思います。昨日、「ニートからの脱出」と題する特集番組がありました。ニートになる原因もいろいろある事が解りました。即戦力のない者、ノルマを達成できない者などいろいろな理由でニートになってました。そのため、職業訓練支援などを受けて企業に入っていく、そんな姿が描かれていたのですが、よき時代の日本企業では職業訓練は企業の責任でやってましたね。事実私も、就職後1年間は東京の訓練所で企業の責任で訓練を受けました。終身雇用、年功序列という日本型雇用形態が崩れた頃から、日本社会は異常現象が発生してます。確かに若い頃は、能力主義に憧れて、アメリカやヨーロッパの雇用形態が優れているように見えましたが、今は、そうは思いません。企業や組織に暖かみが感じられません。能力主義、拝金主義が結局は、企業を駄目にしているように思えるからです。昨今、多くなった倒産や会社更生を受ける企業なども、結局は良き人材が得られない事による自滅行為です。よく「企業は人なり」と言うではありませんか。人を育てきれない企業は結局は破滅の道を歩むのです。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。