まずは昼サイさんへ
もうすぐコミックアジトが閉鎖されるとみすみさんから聞いたので、ゆうべ久しぶりにログインしました。で。以前に昼サイさんが「描くよ」と言ってくれていた、はてなダイアリーに描いた自分の思い出話の漫画化。正直に言いますが初めて読みました。さらに無礼千万を承知で書くと、昼サイさんがあんなに丁寧に描いてくれるとは思っていなかったので、深く深く感動しました。ありがとう。さて。どうせろくに書いていなかったこの日記。やめようがやめまいが、当然のことでありますが他人様どなたにとってもすかし屁以下のことでしかなく、自分にとってもまあ同じようなことなのではありますが。そろそろ区切りをつけようと思いました。そのきっかけもたいしたことはなく。たとえばそのひとつに、昼さんの漫画があるわけでして。元々はてなダイアリーで日記を書いておりましたが、その中で「眠らない大陸クロノス」のネットゲーム日記を書きはじめ、それを独立させたのがここ、「クロノスに生きクロノスに死す(現「朝焼け光線」)でありました。趣味のない自分にとって、コンピュータゲームは唯一の楽しみでありました。その進化形の極まったひとつにオンラインゲームがあり、その世界を存分に楽しませてもらったのですが。困ったことにそのオンラインゲームがために、唯一の娯楽であったコンピュータゲームさえ素直に楽しめなくなりました。己の気の持ちようのひとつ、そこに尽きるのですが。失望という病魔に冒されてしまうと、気の持ちようもクソもあるものかと。ところがここ最近、自分にリセットがかかるかのようなことが立て続けに起きました。昼さんの漫画もそのひとつ。あくまで物語自体をモデルとされた漫画であり、自分の本来の思い出とは異なるのではありますが。やはり絵がついているとどこか説得力が違うというか。これこそが「漫画の力」なのでしょう。自分で思い出を日記に文章にしたためていたときよりも、昼さんの漫画を読み終えたあとのほうが、かえって鮮明にあの日のことを思い出しました。同時に、当時のみなぎる力、すなわち超人パワーが甦ったような感覚を覚えました。超人パワーとか書くから、マジな文章を書いているつもりでもそう受け取られないのが残念なのですが。そういえば最近、マジも死語になっているのでしょうか。あ、クロノスではその言葉生きてますね。意味は違いますが。それはともかく。まあ区切りをつけるといっても、ここをごっそり削除したりとかはしないというか。ぶっちゃけ削除とかだりいしかったりいという面倒くさがり根性というか。もしかしたらいずれなんかの役に立つかもという貧乏根性というか。ともかく区切りのための文章を好き勝手にあと何回か書いて、あとは野となれ山となれという感じでしょうか。元々ごみ山みたいなもんですが。