今回の福島原発事故に関する政府、東電、いろいろな専門家のコメントが、どうみても内部被曝を軽視した発言になっている。なぜこんなことになっているのか。
肥田舜太郎・鎌仲ひとみ著「内部被曝の脅威」-原爆から劣化ウラン弾まで
筑摩書房 ちくま新書 541 2005年
(2011年4月10日 第三刷発行)
を読みました。前回の記事でご紹介した「内部被曝」について、を書いた方が、「私の発端」として紹介されている本です。先日本屋に行ったら、第三刷が増刷されたばかりで、沢山置いてありましたので、早速読んだわけです。肥田舜太郎氏は、広島で被爆した医師で、広島で診療にあたった体験から、内部被曝の問題を追及している方ということです。本書の第2章に、広島市郊外で被爆し、直後から大勢の被爆者の診療にあたった肥田氏の体験が語られています。かいつまんで書くと、
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直接被爆し、まもなく死亡する人々を診ているうちに、やがてピカ(閃光)にもドン(爆風)にも遭わず、爆発後何日もたってから広島市にはいってきた人に、直接被爆した人と同じ症状が出て死んでいくことを目の当たりにし、大きな疑問がわいてきたこと。しかし翌年になると米軍から、原爆被害はアメリカの機密であり、被害の実際について見たこと、聞いたこと、知ったことを、話したリ、書いたり、絵にしたり、写真に撮ったりしてはならない、違反したものは厳罰に処す、 という理不尽な命令が出て、正規のカルテには何も書けなくなったこと。1949年、広島にアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が開所し、被爆者を集 めて診察、検査を行い、治療は一切行わず、死亡者は全身を解剖してすべての臓器をアメリカに送って、放射線障害研究の資料とした。はじめは藁をつめた遺体が遺族に渡されたが、最後のころは親指だけになったこと。
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こうして、アメリカは被害の実態を自分だけの秘密としたわけです。前回の記事でご紹介した「内部被曝」について、の第一章第4節で指摘されているように、アメリカは内部被曝を認めない態度を広島・長崎当時からとり続けています。つまり実に1945年9月6日!の段階で早くも、アメリカのファーレル准将が東京帝国ホテルで、
「原爆放射能の後障害はありえない。広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ。」
という声明を出しています。初めから結論ありき。そして1968年に日米両国政府が国連に提出した原爆被害報告で同じように「被ばく者は死ぬべきものは全て死に、現在では病人は一人もいない」とされた。
今回の福島原発事故に関する政府、東電、いろいろな専門家のコメントが、どうみても内部被曝を軽視した発言になっている。この根っこが、非常に根深いという ことが、脳天気な僕にもようやくわかってきました。内部被曝の危険は、核開発の最初から認識されていて、隠されていた。これは日本だけの問題ではないし、 原子力発電だけの問題でもない。アメリカがリードし世界に広がる核開発、原発、そして劣化ウラン弾に共通する、病んだ根っこからきているものだと。
自分が今まで如何になにも知らなかったか。。。しかしそれを悔やむより、これから何ができるのか、それを引き続き考えていこうと思います。