カテゴリ:演奏会(2012年)
3月31日、大植英次スペシャルコンサートを聴きました。大フィル音楽監督としての最後の日、本拠地ザ・シンフォニーホールで大フィルとの演奏会、ブルックナーの交響曲第8番でした。
もう本当に、9年にわたる大植さんと大フィルの営みの締めくくりに、ミューズの神が惜しみない祝福をあたえた、稀有なる「場」がそこにありました。この「場」を体験して、細かなことをいろいろ書く意味などないのかもしれませんが、大植さんと大フィルの演奏でブログを始めた者としては、自分の一つの大きな節目として、書いておきます。 ホワイエには大植さんや長原さんや佐久間さんに贈られた沢山のきれいな花々が所狭しと飾られていて、あー本当にこれで終わってしまうんだなという感慨がわいてきました。ホールにはいると、多数のテレビカメラがスタンバイされていました。オケは、変則両翼配置ともいうのか、左手から順に第一Vn、Va、Vc、第二Vn、一番右手にCbという、このごろ大植さんが良く使う配置です。舞台左端にはハープ3台。 オケが入場し、客席の灯りが落とされると、ステージの奥に、ライトアップされて銀色に厳かに輝くパイプオルガンが浮かび上がりました。 第一楽章はなんとなくまだエンジンが充分に回っていないような印象でした。 第二楽章のトリオから、変わりました。トリオは非常にゆっくりとした、呼吸の深い演奏でした。ハープの分散和音が大きく凛として美しい。このハープの分散和音が終わって次の思索的な楽節(練習番号E)に入るところ、普通だとハープの響きを奏者が手で押さえて止めて、次に移行していくところですが、大植さんはハープを響くままにさせ、その豊かな余韻がホールの隅々までしみ渡って消えるまでの長い長い間合いをおいて、それから次の楽節に進んで行きました。なんとも美しい間合いでした。またトリオの最後、スケルツォに回帰する直前も、ハープと弦のピチカートの音の余韻が長く尾を引いてゆっくりと自然に消えていくまで、充分な長い間合いをとりました。ハープと低弦の胴の響きの織り交ざったその余韻の美しいこと。作曲者ブルックナーでさえここまでの深さを意図していただろうかと思うような味わいでした。 そしてさらに第三楽章の深み。非常にゆっくりとしたテンポで、随所随所に充分に長い間合いをとり、ひとつひとつかみしめながら音楽は進んでいきます。音符の一つ一つ、間合いの一つ一つにこめられた大きな想いが、胸にしみます。特に、楽章の中ほど、主要主題の回帰に向けてだんだんと音楽が沈潜していくところ(練習番号Mのなかほどから)は、非常に非常におそくなり、最後のチェロの止まりそうな上行音の弱音が消えたあと、完全な長い間合いがとられ、そこからおもむろに主要主題が、これまた非常にゆっくりと奏でられはじめたところは、もう本当に息をのむすばらしさ。この、MからNへの移行部分には、もちろんスコアにはゲネラルパウゼはありません。これほどの深い呼吸によるM、MからNへの移行、そしてNの演奏は、これまで体験したことありません。そしてそこから音楽は徐々に高まっていき、大フィル渾身の合奏で高みに達し、そしてコーダの安らぎと充足。。。この第三楽章は、大きく、やさしく、慈愛に満ちた、奇跡のアダージョでした。 終楽章は、大胆なテンポ変化に富んだ演奏でした。凡百の指揮者なら、わざとらしい不自然なブルックナーになってしまうこと必至です。しかしこの演奏は違いました。これほど、ありえないほどの大胆なテンポ変化があるのに、巨大な音楽の流れが、揺るぎなく、一貫して流れていきます。ありえない体験です。これぞ大植流ブルックナーの大いなる結実、と思いながら、ただただ音楽の流れに身をゆだねていました。 コーダのUuにはいる直前、ティンパニのピアニッシモから、長い間合い(ここにはスコアにゲネラルパウゼあり)を経て始まったUuの、尋常ならざるテンポの遅さと緊張。いろいろ遅い演奏は聴いてきましたが、これほどの体験は初めてです。そして「巨匠スタイル」ならばこのままのテンポで最後まで行くのでしょうが、大植流ブルックナーは違いました。コーダ後半は程よく加速して、そして曲はついに終わりました。終わってしまいました。 その後の長い長い拍手。オケの各パートを順に立たせ熱い拍手を送る大植さん、大植さんに拍手を送るオケ。それを包み込む聴衆の拍手、また拍手。やがて、花束を受け取った大植さんが、花を一輪ずつ、何人かの女性奏者に渡し、そのあと、朝比奈時代からのヴィオラ奏者小野眞由美さんに花束ごと渡し、ご自分はそこから赤い薔薇一輪を抜きとり、オケを立たせ、ご自分も指揮台の上に立ってその薔薇をかかげた、そのときです。会場のほとんどの人が立ち上がり、すごいスタンディングオベーションになりました。これまで、オケが去り始めてからさみだれ式に立つ人が増えていき、呼び戻された指揮者を迎えてさらに人が立ち上がっていき、結果として総立ちに近い状態になる、という形のことは、晩年の朝比奈、近年のスクロヴァなど、時折ありました。しかし今回は全く違います。オケが全員まだ定位置に立っていて、指揮者が指揮台の上に立っていて、その状態で、ほぼ一斉に総立ちに近いスタンディングオベーションになったわけです。 指揮者とオケ全体に対するスタンディングオベーション。 こんなこと、初めての体験です。自分もその中で立って一生懸命に拍手を贈りました。ありがとう大植さん、ありがとう大フィル。 やがてオケが解散したあともスタンディングオベーションは続き、呼び戻された大植さんが、とうとう先日の最後の定期演奏会のときのように、客席に飛び降り歩き回ったり、さらには舞台の後ろに行ってクワイヤ席の聴衆が下に差し出す手と握手をかわしたり。そうした去りがたい光景がどのくらい続いたか。やがて大植さんは舞台の袖に引っ込んでいきました。 ・・・大監監督&大フィル時代の9年間。と言っても僕の大植さん体験は、2005年3月のマーラー6番東京公演が最初で、強くのめりこむ契機になったのは同年9月のマーラー3番ですから、6年半になります。この間、それほど頻回というわけではありませんでしたが、事情の許す限り大植さん&大フィルの演奏を聴き、胸打たれ、こころ振るわせてきた6年半でした。今回の演奏は、この実り多き大植監督時代の画竜点睛であるし、大フィルブルックナー演奏の歴史に、また一つ刻まれた偉大な到達点と思います。まさに「特別な」演奏会でした。 そう、大植さんはいつも「特別」であったし、これからも「特別」。そして大植さんの音楽を通じて出会うことができたぐすたふさんからのありがたいご厚意の数々には、ただただ感謝のみです。本当に、ありがとうございました。ぐすたふさんのブログと大植さん体験がなかったら、僕はブログを始めていませんでした。 そのぐすたふさんのブログが終わってしまうというのもかなりの打撃です。しかしさみしがっているばかりでも仕方ない。 これから始まる新たな時代、前向きに生きていきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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