新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年もゆるゆるペースで、ブログを続けていこうと思います。
2012年のコンサートのまとめにとりかかりたいのですが、その前にもう少し、昨年末の書き込みの続きで、昨年印象に残ったコンサートをいくつか書いておきます。まずはバルバラ・フリットリが、マルトゥッチの「追憶の歌」を歌ったリサイタルです。
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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
2012年2月1日 東京オペラシティ・コンサートホール
ソプラノ:バルバラ・フリットリ
指揮:カルロ・テナン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
第一部:
マルトゥッチ 「タランテッラ」(オーケストラ曲)
マルトゥッチ 「追憶の歌」
第二部:
プッチーニとチレアのオペラアリアと間奏曲
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オペラ歌手によるオペラアリアを中心としたリサイタルは、僕はあまり興味がなくて、これまで一度も行ったことはありませんでした。今回は、たまたまコンサートのチラシをぱらぱらと見ていたところ、マルトゥッチの「追憶の歌」をやるリサイタルを発見して、これは聴きに行こう、と思いました。
もう20年ほど前、自分に娘が生まれたとき、かなりへこむ出来事がありました。そのときにたまたま、CDでこの曲に出会いました。作曲者の名前もそのとき初めて知りましたが、その歌が、声が、音楽が、胸になんとも沁みこみました。この曲ばかり繰り返し何度も何度もきき、繰り返し涙を流し、へこんだ時期を乗り 越えました。ちょうどその頃に読んでいた五味康祐氏の著作に、悔いと絶望のなかで音楽にどんなに救われたか、という体験が書かれていたのを、氏ほどの絶望状況ではなかった自分ですが、身に沁みて共感した次第です。そのCDは輸入盤で、英文解説から歌の内容の概要が、失われた愛を追憶するというものであることだけはわかりましたが、歌詞の詳細はわかりませんでした。歌詞の意味ではなく、ただただその声と音の響きそのものが、胸に沁み、僕は癒されていきました。
マー ラーのシンフォニーからクラシックにのめり込み、もともと声楽より器楽に嗜好が傾いていた自分ですが、そのときになぜかこの歌がとても胸に響いたのです。 当時、歌という文字のことを考えました。可可欠という、考えてみれば一風変わった要素で成り立っています。この字の本当の成り立ちの意味は知らなかったし、調べもしませんでしたが、自分なりに勝手に、歌とは、「欠」けている自分を、「可」能な限り「可」能な限り、高めていこうとする営みではないか、と思いま した。ちょうど生まれた子どもにも、いろいろなことがあるであろうこれからの人生を、どんなときも、自分なりの歌を歌って生きていってほしい。自分も、自分なりの歌を歌っていこう。そう思いました。
それ以来、マルトゥッチの「追憶の歌」は、僕にとって特別の曲になりました。他のディスクをいろいろ探して、少ないながらも、少しずつ保有盤が増えていきました。そのうちに、僕が最初に輸入盤で聴いていたものが国内盤でも発売され(ソプラノ Rachel Yakar、ダヴァロス指揮、フィルハーモニア管、ASV)、少し話題になったりもしました。また1995年にはムーティがミラノ・スカラ座管と録音し、 SonyからCDが発売されました。ムーティは、さらに2009年にもベルリンフィル・ヨーロッパコンサートでナポリで演奏し、これはDVDで発売されています。
ナポリ出身のムーティは、ナポリで没したマルトゥッチ作品を折に触れ取り上げているということですので、今後少しずつマルトゥッチが世に広がっていくと思います。今回のリサイタルのプログラムにも、フリットリさんはこの曲を、ムーティにすすめられて勉強した、と書いてありました。 ムーティがフリットリさんにすすめ、フリットリさんもこの曲を気に入って、日本の聴衆に聴いてもらいたいと思って今回のプログラムに入れたということですね。ムーティに感謝しなくては。
当日大変楽しみに聴きにいったのですが、僕にとってお目当ての「追憶の歌」は、悲しいできでした。。。
フリットリさんにまったく非はないです。
ひとつには指揮者です。「追憶の歌」は7つの歌からなる歌曲ですが、7つの歌の内容はひとつながりだし、それぞれの最後の和音と次の曲の開始の和音もほぼ同じで作られています。ですので7つの独立した曲ではなくて、全体が完全にひとつの曲というべきものです。しかし指揮者はそのつながりをまったく無視するかのように、曲間に無節操な中断をはさみます。連続して演奏してくれとは言いませんが、休むにしてもデリカシーを持った休み方というものがあると思うのです。この休み方から推して知るべく、曲自体にしても、この指揮者が「追憶の歌」を理解しているとは到底思えない指揮ぶりでした。
オケも、やる気が感じられませんでした。東フィルは、気合が入ったときはすばらしい演奏をするのですが、そうでないときに、ときとして落差が大きい演奏をすることがあり、今回がそれでした。残念至極。。。
後半のオペラアリアは、フリットリさんの魅力が充分発揮され、盛り上がりましたが。
いつか、もっとこの曲の真価を伝える演奏で、「追憶の歌」を聴きたいと思います。