4月17日出題のBGM選手権は、茂木健一郎著『カラヤン 音楽が脳を育てる』からの一節でした。
茂木さんの本は、数年前に3冊読みました。
『クオリア入門』
『音楽を「考える」』
『すべては音楽から生まれる - 脳とシューベルト』
です。2冊目は作曲家の江村哲二さんという方との対談集でした。これらの本を読んで、クオリアについての解説は興味深かったし、ところどころに出てくる含蓄ある音楽への思いに共感するところも多かったですが、なんとなくその3冊までで興味が薄らいで、そこで止まりました。
茂木さんの書かれた膨大な本の中で、そのタイトルに作曲家あるいは音楽家の名前がついている本をWikipediaで調べたところ、3冊だけありました。
『すべては音楽から生まれる - 脳とシューベルト』PHP新書、2007年
『音楽の捧げもの ルターからバッハへ』PHP新書 2009年
『カラヤン 音楽が脳を育てる』世界文化社 2009年
最後の本が、今回のお題ですね。しかしこの本のタイトル、良くわからないです。『カラヤン』とは何を意味するのか?カラヤンの音楽が脳を育てる?カラヤンがついていなくてはいけないのか?ワタクシ、そこに引っかかってしまいました。
そこでBGMを考える前に、この本のことを調べてみると、この本にはカラヤンのCDが付いていました。そのCDには11曲入っていました。登場順にベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、マスカーニ、リヒャルト・シュトラウス、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウス(2曲目)、ワーグナーでした。
茂木さんがカラヤンをどのくらい好きなのかは知りません。ものすごいカラヤン・ファンかもしれないし、それなら納得です。
(☆5月1日追記・訂正:この記事を書いた後、この本を実際に読まれたいーともさんのブログ記事を読んで、茂木さんが相当なカラヤンファンであることを知りましたので、納得しました。いーともさんの記事はこちら、
http://kiracladays.blog.fc2.com/blog-entry-1196.html
です。)
ともかくも、タイトルに『カラヤン』の名が冠されている本、しかもカラヤンのCD付きの本です。これから先、カラヤンの名がタイトルになった本がお題に選ばれることは、そうはないでしょう。そこで自分としては、今回のBGMにカラヤン以外の音楽をあてることは、もはや考えられなくなりました。カラヤンの本には、ある意味自己完結しているカラヤンの音楽の美の世界が相応しい、と思ったわけです。(別にカラヤンにこだわる必要はまったくないし、どんなBGMでもありなんですけど、あくまで自分のこだわりとして、そうしようと思ったわけです。)
ところでカラヤン。もしも好き嫌いが分かれる音楽家のランキングを決めるとしたら、相当な上位にカラヤンが挙げられるのは間違いないと思います。どうしてなのでしょうか。
人間カラヤンの非凡さにはいろいろな面があって、いろんな見方ができると思います。個人的には、カラヤンの音楽的才能の高さ、強い自己愛、自らの理想を現実化できるいろいろな才能と行動力のすごさ、この三つに注目したいです。この3点に注目すると、19世紀の大作曲家ワーグナーと、すごく似ているように思えてなりません。
ワーグナーは、作曲家としての抜きんでた才能と、強い自己愛と、その他の才能とすごい行動力がありました。そして、自らの作品の理想的な上演を実現するためにバイロイト祝祭劇場を作り、バイロイト音楽祭を始めてしまいました。カラヤンもまた、指揮者としての抜きんでた才能と、強い自己愛と、その他の才能とすごい行動力がありました。そして、ザルツブルグに祝祭大劇場を作り、ザルツブルク音楽祭に君臨したばかりか、さらにはザルツブルク・イースター音楽祭なるものを始め、そこでワーグナーの指輪4部作を上演してしまいました。実に良く似ていると思います。(ワーグナーを得意としたカラヤンは、1950年代にはバイロイトでワーグナーを振っています。しかしその後ザルツブルク音楽祭を統括するようになり、ほぼ同時期に行われるバイロイトの方には登場しなくなりました。それでウィーン国立歌劇場でワーグナーを上演していましたが、1964年にウィーンと決別したため、ワーグナー作品を上演する場を失ってしまいました。それでワーグナーを上演するために1967年からザルツブルク・イースター音楽祭を始めたという流れになります。このあたりの事情については、中川右介著『カラヤン帝国興亡史』幻冬舎新書、に詳しく書かれていて興味深いです。)
そして、こうした強烈な方向性を受け入れられるか受け入れられないかが、人によって大きく違い、好きになってのめり込むか、嫌って遠ざかるか、そのあたりの差が大きく出やすいのではないかと思います。ワーグナーにしても、カラヤンにしても。
だいぶ話がそれました(^^;)。お題に戻りましょう。BGM選びです。万能のレパートリーを持つカラヤンですけれど、そのなかから何にしようか。僕自身は、こだわりのマーラー・ブルックナーファンにありがちなパターンの通りで、カラヤンとは距離を置きたいほうの聴き手です。でも僕にも数少ないですが愛聴したカラヤンのレコードがあり、その筆頭が、ベルリン・フィルを振った2枚のワーグナー管弦楽曲集(1974年、EMI)です。僕は20代の一時期、良く大学生協でレコードを買っていました。そこの店長さんと時々話をしていて、「カラヤンが好きでない人にも、このワーグナーは絶対お勧めです。」と太鼓判を押されて買ったレコードでした。果たしてその方の仰るとおり、見事にどっぷりはまってしまいました。
このレコードの聴体験も影響してか、カラヤンとワーグナーの共通性・類似性についてはかねてから強く感じていました。そこで今回のBGMはワーグナーにしようと決めました。その中でもっとも良いと思ったのが、楽劇「トリスタンとイゾルデ」から第三幕の最後、「イゾルデの愛と死」の中ほど(管弦楽版)です。カラヤンの描き出すワーグナーのめくるめく音宇宙の究極の美が、内なる交響曲の陶酔の無限の深みにふさわしいと思いました。
しかも、茂木さんとワーグナーの親和性も高いのです。僕の読んだ茂木さんの本には、ワグナーのことが繰り返し語られていて、「青年期にはオペラと出会い、ワグナーの世界に陶酔した」ということですし(『音楽を「考える」』のあとがき)、ご自身でワグネリアンと仰っています (同書169頁)。特にトリスタンとイゾルデを愛聴されているようで、著書『すべては音楽から生まれる』102~104頁には、「日々と音楽~ワーグナー/楽劇《トリスタンとイゾルデ》」という一項が設けられ、熱く語られています。しかもしかも、今回のお題の本に付属のCDの最後の曲として収められているのが、トリスタンとイゾルデから、前奏曲と「愛の死」なのでした。
こうなってくると、「愛の死」をBGMにあてるのは、「いかにもそのまますぎて、工夫のない選択」ということになって、採用されにくいだろうと思いました。それでも今回は自分のこだわりを貫こうと、この曲に即決しました。
カラヤンがベルリンフィルを振った「イゾルデの愛の死」管弦楽版、僕の持っているEMI盤です。
https://www.youtube.com/watch?v=hD38QAEZZqg
これの14分50秒あたりから朗読開始というイメージです。ただし途中で音量を適宜絞るなどの調整をお願いします(^^;)。大袈裟すぎて合わないかもしれないですが、聴いてみていただければうれしいです。
茂木さんとカラヤン、ふたりのワグネリアンの、内なる響きの共鳴。
おまけ:ちなみに、こちらのカラヤンのディスコグラフィ
http://classic.music.coocan.jp/cond/modern/karajan-dg.htm
を拝見し、トリスタンとイゾルデの録音をピックアップしてみました。楽劇全曲録音と「愛の死」単独録音を合わせると、5種類の音源があるようです。
1952年7月 全曲 バイロイト祝祭管ほか(バイロイトでのライブ) Orfeo
1957年1月 前奏曲と愛の死 (管弦楽版) ベルリンフィル EMI
1971年12月 全曲録音の一部から 愛の死 ベルリンフィル、デルネシュ EMI
1974年9-10月 前奏曲と愛の死(管弦楽版) ベルリンフィル EMI
1987年8月 前奏曲と愛の死 ウィーンフィル、ノーマン(ザルツブルクでのライブ)DG