4月16日のきらクラです。
番組冒頭でふかわさんが、真理さんに「私を見ていつもよりすがすがしい感じがしません?」と問いかけると、真理さん「ちょっと見てないですけど~」で爆笑スタート。真理さん続けて「短パンをはいたとか?」って、ひと目見れば短パンかどうかわかると思うのですが、意地でも見ないのでしょうか(^^)。ふかわさんが語った正解は、自転車に乗り始めた、ということでした。それは良く見たとしてもわからないでしょう。
きらクラDONの不正解残念時のジングルについての話が盛り上がりました。力の抜けたラッパのような名ジングルですね。どんな楽器でやっているのだろうかという話題になりました。あの独特のチープな感じは、生楽器ではなくて、電子楽器だと思いますが、実際のところどうなんでしょうか。
最初の音楽はドビュッシーの「レントより遅く」でした。
きらクラDONの正解はバッハのマタイ受難曲第1曲の冒頭でした。4月16日が復活祭なので、時節を捉えた出題でした。いつかこの時期に、この曲が出題されると思っていました、ついに登場しました。
バッハのマタイ受難曲は、かつて武満徹さんが愛聴していて、新しい曲の作曲に取りかかる前にはみそぎ(禊)としてマタイ受難曲を聴いたそうです。その話を知って、それほどすごい曲なのかぁと漠然と思ったりしたのが、今思えば僕がマタイの存在を意識し出したきっかけでした。その武満さんが、タルコフスキー監督の遺作「サクリファイス」(1986年)を見たとき、冒頭のタイトルバックにマタイ受難曲のアリアが流れたのを聴いて、「(タルコフスキーが)とうとうここまで来てしまったか」と仰った、というエピソードを耳にして、武満さんやタルコフスキーが一体どんな思いでマタイを聴き、どんなふうに共鳴しているのだろうか、と思ったりしました。
(こちらの武満さんのインタビュー記事に、このあたりのことが載っています。)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/tkmt.html
「サクリファイス」の日本公開は1987年。当時の僕は、バッハの器楽曲にはそれなりに親しんでいましたが、声楽曲はほとんどなじみがなくて、マタイも聴いたことがありませんでした。映画「サクリファイス」を見に行って、冒頭のマタイの音楽を聴いたときも、正直まったくピンと来ない状態でした。
しかしその後、齢をとるとともに、マタイの音楽の素晴らしさが、少しずつ身に沁みてくるようになりました。僕の個人的マタイ受容史に大きな位置を占める2冊の本があります。一冊は磯山雅さんの「マタイ受難曲」(1994年)で、わかりやすく詳しいガイドとして知的な理解を助けてくれました。もう一冊は柳田邦男さんの「犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日」(1995年)です。この本から大きな感銘を受け、いのちについて考え、この本の中で重要な位置を占めるマタイ受難曲について、いわば実存的な理解が深まった気がします。この2冊との出会いがなかったら、今ほどにはマタイを好きになっていなかった、あるいはマタイを好きになるのにもっともっと時間がかかっていたと思います。このあたりのことは、以前のブログ記事
ドレスデン聖十字架合唱団によるバッハのマタイ受難曲
に書きましたので、ごらんいただければ幸いです。
さて気持ちを変えて(^^)、番組の先に進みましょう。
先週のつながりで、ボロディンの「だったん人の踊り」のメロディーが一瞬登場するという、ソニー・スティットという人があるとサックスを吹いたジャズの曲、「Au Privave」が、ちょっと流れました。
続いてジャズつながりということでキース・ジャレットが作曲した、ヴァイオリンとピアノのためのソナタから第1曲「セレブレーション」が流れました。キース・ジャレット、我々の年代にとっては、「ケルン・コンサート」(1975年)が一世を風靡したことが大きいですよね。「ケルン・コンサート」には滅茶苦茶にはまりました。インプロヴィゼーションでこれほど美しい音楽が紡ぎ出されるなんて、奇跡でした。それでブレーメンとロザンヌのコンサート(1973年、LP 3枚組)とか、サンベア・コンサート(1976年、LP 10枚組)とか、彼のインプロヴィゼーション・ソロライブの音楽に聴き浸った青春の日々でした。武道館のソロ・ライブも一度聴きに行きました。多分1980年前後だったと思います。ネットで調べたら、武道館では1978年12月に1回、1981年4月に2回ソロライブをやっているので、このどちらか、おそらく1981年の方だと思います。始まりの2-3分が抒情的で極めて美しかったことを覚えています。あと就職して間もないころ、先輩に連れていってもらったジャズが聴けるお店で、ピアノを弾いていたお姉さんがいて、キース・ジャレットが好きだと言ったら、ケルン・コンサートの耳コピー(?)したものを冒頭から結構長く弾いてくれて、かっこいいなぁ、と思ったりしましたっけ。
その後はキース・ジャレットをそれほど熱心には聴かなくなりましたが、ECMからのソロピアノやジャズトリオのディスクをポチポチ買って、聴いていました。彼はそのうちにクラシックの曲も録音するようになり、バッハやショスタコ―ヴィチのソロ(1987-1991年)や、カシュカシアンのヴィオラ!とのデュオアルバム(1991年)あたりまではフォローしていました。うろ覚えですが、ショスタコの24の前奏曲とフーガを録音したキースが、まるで自分が作ったようなほど親和性を感ずるとコメントしていました。しかしクラシック風の作曲もしているとは知りませんでした。今回番組でかかった曲は、検索したら1984年作曲で、「ブリッジ・オブ・ライト」というアルバム(1993年)に入っています。
ケルンコンサートはキース・ジャレットが29歳のときでした。彼は丁度明日5月8日が誕生日で、今度もう72歳になられるんですね。
さてさて再び気持ちを変えて(^^)、番組の先にどんどん進みしょう。
はじくらは、ショパンの「子犬のワルツ」を、ハリー・ブリュワー・アンド・ヒズ・クインテットが演奏した「ミニット・メレンゲ」でした。、シロフォンの子犬君がノリノリで可愛かったです。
フランセの「クラヴサン協奏曲から第5楽章」、フランセ自身のピアノ演奏の録音で流れました。ふかわさん「石畳のパリの街並みが浮かんできました」と言いましたが、真理さんの反応に思わず「ばかにしてますか?」真理さんあわてて「石畳をなんか自転車に乗ったふかわさんがぼこぼこっと行くのを・・」。ふかわさん「私は登場してないです。」一連のやり取りがおかしかったです。
リクエストで、ベートーベン作曲の「フルート、ファゴット、ピアノと管弦楽のためのロマンスホ短調」という珍しい曲がかかりました。
ここ好き、映画「アマデウス」でサリエリがモーツァルトの音楽の素晴らしさに打たれる場面に流れる、モーツァルトのセレナーデ第10番変ロ長調グランパルティ―タの第三楽章冒頭が紹介されました。続いてここ好きもうひとつ、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の第三楽章のコーダが紹介されました。若いころにドヴォルザークが思いを寄せた女性が亡くなったあと、第三楽章のコーダを書き直したそうで、ドヴォルザークの涙でできている、というお便りでした。こういうエピソードを知ると、曲への共感が深まりますね。真理さんの語りも、熱い想いが入っていました。真理さんは今度の7月はじめにコバケン・読響とこの曲を弾かれます、いい演奏になることでしょう。
ヴァンサン・ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」から第3楽章、チッコリーニ&セルジュ・ボド&パリ管の演奏でした。
企画・ご無沙汰合唱団の愛の挨拶の進め方について、いろいろなアイデアや、歌詞がちょっと紹介されました。ふかわさんは歌詞に、やすい言葉を載せるのがいい、と仰っていました。
ここで合唱曲「くちびるに歌を」(ツェーザル・フライシュレン作詞、信長貴富・作曲・訳詩)が流れました。
今週はふかわさんの好きな曲で、ルビンシテイン作曲の「ヘ調のメロディー」でした。この曲は、2012年5月にもふかわさんが好きな曲で紹介し、今回2度目ということです。
今日の最後は、トスティの「四月」。ご自分で今度ご自分で歌われるというリスナーさんからのリクエストでした。
今回のきらクラは、マタイ受難曲とキース・ジャレットにより、自分の80~90年代をいろいろと懐かしく思い出させてくれる放送でした。