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2011.01.13
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カテゴリ:格闘技映画
最強最後のカラテ.jpg


1980年に東映、三協映画による極真カラテの真髄を
新たな角度から捉えて描くドキュメント映画
「最強最後のカラテ」は週刊少年チャンピオンに
連載された原作の映画化で監督は梶原一騎である。

最強の空手家を目指して厳しい荒稽古に汗を流す
大山倍達の流派・極真会館の道場生たち。
その脅威は日本だけではなく世界各国にまで
大山空手が広まっていた。

本作は第10回全日本空手道選手権大会をドキュメントした
「激突!格闘技 四角いジャングル」の続編的意味合いを
持っており、今回は翌年に行われた世界大会を取材、

その海外の極真空手家を追い、今まで日本に
紹介されなかった外人の強者を取材し
4年に1度開催される空手オリンピック
オープントーナメント全世界空手道選手権大会に向けて
日夜、稽古に励む道場生にスポットライトを当てている。

まず「第4回全日本選手権」にて準優勝したイギリスの
ハワード・コリンズで、彼は15歳の時に極真を始め
1971年日本に来日し本部道場で稽古を開始する。
翌年には極真最大の荒行・百人組手を道場性で
初めて完遂するなど快挙の多い空手家である。

次に南アフリカのケニー・ウーテンボガードで
彼は身長197センチ・体重98キロという大型で
今大会の優勝候補の一人であったが
南アメリカのアパルトヘイト問題を良しとしない国から
圧力が掛かり外務省が出場を許可しなかった為
ウーテンボガードは来日したものの直前に
出場停止となりました。

そして優勝候補の“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスは
アントニオ猪木が掲げる「プロレス格闘技世界一」を
断固拒否!極真空手を地上最強と信じるウィリーは
猪木に挑戦状を叩きつけての来日でありました。

1979年11月23日から3日間で行われた日本武道館における
第2回オープントーナメント全世界空手道選手権は
母国日本の王座最大の危機と言われた大会であり

日本からは二宮城光(現・円心会館)引退後の
極真日本勢を守った中村誠、三瓶啓二の二人が
大会に出場した。

本大会は案の定、外国人選手が勝ち進みウィリーが
優勝に王手をかけていた。

しかし準決勝にてウィリーは度重なる掴みからの膝蹴り
三瓶を投げた事からウィリーの反則負けとなる
謎が謎を呼ぶ突然の暴走行為が勃発した。

その真相については未だに不明だが
結果的に決勝は準決勝で東孝を破った中村誠と
三瓶啓二が相見える勝負となった。

結果は中村誠が優勝し空手日本を守り
極真日本勢の面目を守ったのであった。

この二人は両者の名前を取り“三誠時代”と
呼ばれる様になりました。


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Last updated  2012.05.27 22:29:00
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