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2013.01.07
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カテゴリ:プロレス・格闘技
小橋建太1.jpg


21世紀を代表するプロレスラー
鉄人・小橋建太

1967年3月27日、京都府福知山市で生まれ
高校時代は柔道に打ち込み
卒業後は京セラに入社。

しかしプロレスへの夢は諦められず
1987年2月14日、京セラを退職し
全日本プロレスへ依願するも書類審査で落ちる。

しかし通っていたジムの会長の紹介で
6月に全日本プロレスへ入団。
ハル薗田のコーチの元、肉体は鍛えられ
いよいよデビュー間近と言う時、

ハル薗田が南アフリカ航空295便墜落事故で不慮の死を遂げ
教え子だった小橋と菊地毅はメモリアル・セレモニーの
バトルロイヤルでマットに仮デビューで上がり

1988年2月26日、滋賀・栗東市民体育館にて
大熊元司戦でプロデビューを果たした。

その後の輝かしい戦歴は
1990年4月9日、2代目タイガーマスク(三沢光晴)と組んで
カンナム・エクスプレスよりアジアタッグ王座を獲得

1993年12月3日、三沢光晴と組んで
世界最強タッグ決定リーグ戦で初優勝
同時に第24代世界タッグ王者に就く。

1994、1995年と世界最強タッグ決定リーグ戦
史上初の3連覇を成し遂げる。

1996年7月24日、田上明を破って
第16代三冠ヘビー級王者に就き
1998年6月12日、川田利明を破って
第19代三冠ヘビー級王者に君臨、
勝利インタビューで「新時代宣言」を提唱。

秋山準らと共にチーム「バーニング」を結成し
2000年4月15日、チャンピオン・カーニバルで念願の初優勝。
しかし2000年6月15日、全日本プロレスを退団して
三冠ヘビー級王座を返上した。

全日本時代の小橋は特別なスキルもなく
トップレスラーとなりえたのは
誰よりも練習に励んでいたからだとも言われている。

当時全盛だったロード・ウォリアーズに
片言の英語でトレーニング方法を教わり
練習ばかりしていた小橋を中堅選手が嘲笑した所
天龍源一郎は「おまえら笑ってるけど、
今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」
と言わしめた事も有名である。

ジャイアント馬場の付き人としてハワイへ行った際、
ひたすらトレーニングしていたのを見かねた馬場が
「休むのも練習の内だから休め」
と命令した程である。

また試合を解説していた馬場は「小橋は趣味が練習、
職業はプロレスラー」と言い放った。

この練習の虫も時には厄介な存在となり
厳しいプロレスの練習を乗り切った
後輩の秋山準やKENTAでさえ
小橋の練習に付き合いオーバーワークで
病院へ運ばれたという逸話がある。

またKENTAとハワイ合宿を敢行していた際、
一日中ジムへ篭っていた小橋にKENTAが驚愕し
「最後の日に土産を買う時間だけはください」
と懇願したという話もある。

1997年1月20日、大阪府立体育会館での
三沢光晴を挑戦者として迎える三冠戦前日
小橋は母親に電話をかけ
「俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれ」と伝えた。

試合後はスポーツ番組へ2人共生出演する予定だったが
小橋は病院へ直行し結局番組は三沢のみの出演となった。

この事情を聴いた三沢は驚いたという。

つづく・・・


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Last updated  2013.01.07 22:27:46
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