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2017.07.06
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カテゴリ:プロレス・格闘技



スポーツ社会は比較対象者が必ず存在する。

プロレスマット界にも、それは存在した。

全日本プロレスの三沢光晴と
新日本プロレスの武藤敬司である。

ふたりは全日本新日本と別の団体だったが
同じような境遇、同じようなスタイル、
同じような階段の昇り方で出世している。

三沢光晴は高校卒業後の1981年、全日に入団。
三沢は受け身を覚えるのが早く、
またたく間に先輩レスラー達と同じレベルに達し、
入門から5か月で史上最速デビューを飾った。

1984年、三沢はメキシコへ遠征に出た。

武藤敬司は紹介される形で1984年、21歳で
新日本プロレスに入門する。

鬼コーチである山本小鉄に逸材と見込まれ
厳しい練習を何とか乗り越え、
入門から6か月でデビューを飾った。

1985年、米フロリダ地区に海外遠征に出発した。

一方の三沢は1984年、馬場に帰国するよう命じられ、
三沢は2代目タイガーマスクとなるよう命令を受ける。

同年8月26日、田園コロシアムでのラ・フィエラ戦で
2代目タイガーマスクとしてデビュー。

当初はジュニアヘビー級戦線で活躍し、
1985年に小林邦昭を破ってインタージュニア王座を獲得。

同年10月にヘビー級に転向し、1986年にはアメリカに遠征し、
NWAがニューオーリンズのスーパードームで開催した
タッグチーム・トーナメント「Crockett Cup」に
御大のジャイアント馬場と組んで参戦。

翌20日にはAWAの「WrestleRock 86」に出場、
AWA世界ライトヘビー級王者バック・ズモフから勝利を収め、
1988年には後楽園ホールにてカート・ヘニングが保持していた
AWA世界ヘビー級王座に挑戦している。

1990年、WWE主催の「日米レスリングサミット」に参戦し
三沢は米国3大メジャーのマットに上がる快挙を成す。

かたや、武藤敬司は帰国後、スペース・ローンウルフで売り出され
宇宙飛行士のヘルメットをかぶり、リングに入場する際は
ロープ間を跨ぐようなことはせず、鉄棒の前転をするような形で
トップロープ上を宙返りしリングインする
派手なパフォーマンスをしていた。

早い時期から藤波辰巳とのシングルマッチを実現するなど
特別な扱いを受けていた。

1988年、二度目の海外遠征に出発。
カルロス・コロンが主宰するプエルトリコのWWCでは
ベビーフェイスのスーパー・ブラック・ニンジャとして活動し、
ミゲル・ペレス・ジュニアからプエルトリコ・ヘビー級王座を奪取。

WWCを離れフリッツ・フォン・エリックが主宰する
ダラスのWCCWに活動拠点を移す。

そこでの活躍で、NWA(後のWCW)へスカウトされ、
ギミック上はザ・グレート・カブキの息子という設定の
グレート・ムタとして、ヒールのポジションで登場。

当時のアメリカでの悪役人気は絶大で、
スティングやリック・フレアーとの対決で活躍し
米マットで大出世した。


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Last updated  2017.07.06 20:00:11
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