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2018.01.25
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カテゴリ:プロレス・格闘技



日本は、昭和29年にテレビの発展と共に
力道山がプロレスの夜明けとして
日本プロレスを設立した。

世界でも通用するメジャー団体として君臨した
日本プロレスだが、時代は変わり
馬場の全日本、猪木の新日本、TBSの国際が
3大メジャー団体として築き上げた。

しかし、国際プロレスが崩壊した後、
後継となる、新しい第3のメジャー団体が発足した。

それが、長州力を代表としたジャパンプロレスである。

1983年、新日本プロレスはアントニオ猪木を筆頭に
初代タイガーマスク、藤波辰巳、長州力など
多くの選手を揃えて「新日本ブーム」とも言える
好調な観客動員を続けていた。

その反面、新日本の経営体制に不満を持った山本小鉄、
藤波、当時の営業部長であった大塚直樹らは
放漫経営の原因となっていた社長の猪木、
営業本部長の新間寿らを排除した形での団体を目指し
クーデターを画策。

大塚は新日本を退社して「新日本プロレス興行」として
再出発を切る形となった。

1984年、全日本プロレス会長であった
ジャイアント馬場が新日本プロレス興行へ接触して
興行の請負を打診。

これを受けて8月26日、田園コロシアム大会を皮切りに
全日本と新日本プロレス興行の業務提携へと発展する。

それに親交のあった長州、小林邦昭、寺西勇、
キラー・カーンのユニット「維新軍」が加わり、
後には期待のホープであった谷津嘉章が
新日本プロレス興行へ移籍する事が発表された。、

また3日後には栗栖正伸、永源遙、保永昇男、新倉史祐、
仲野信市が更に合流し、最終的には13人の選手が集結した。

10月9日、長州の個人事務所「リキプロダクション」と
合併する形でジャパンプロレスに改称。

ジャパンは全日本プロレスと業務提携を結んで
全日本を主戦場とする事になった。


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Last updated  2018.01.25 20:00:16
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