太平洋の鷲
1953年に制作された「太平洋の鷲」は太平洋戦争で真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の総指揮に当たり連合艦隊の司令長官だった山本五十六の撃墜死を描いた戦争映画で監督は本多猪四郎、応援監督に小田基義特技監督に円谷英二という東宝怪獣シリーズのお馴染みのメンバーで構成されました。昭和16年、東条内閣の出現で日本は戦争へと導かれ連合艦隊司令長官・山本五十六(大河内傳次郎)は最後まで日米交渉妥結を願っていたが東條内閣が御前会議において開戦を決定した為山本は止むを得なく真珠湾攻撃の指揮を取り戦争の火蓋を切ってしまった。緒戦の戦果に有頂点になった政務参謀(三國連太郎)近衛文麿(高田稔)ら首脳部は山本五十六の講和説に耳を傾けず徒らに戦線拡大を計った。もはや速戦速決あるのみと信じた山本五十六は今度はミッドウェーにて敵機動部隊と対決する。しかし日本側の作戦計画は事前にアメリカ側に入手され空母・赤城、加賀等は次々に凄絶な最後を遂げ、唯一残った空母・飛龍から友永大尉(三船敏郎)が指揮する日本機動部隊最後の十五機の雷撃隊が飛び立ち米空母のヨークタウンを撃沈させたのだ。だが、その飛龍も米第二次大編隊の攻撃に忽ち黒煙に包まれ沈没していった。以後、戦争の主導権はアメリカに移りラバウルに移った航海参謀:小林桂樹ら司令部の機数一覧表からは未帰還機が次々と消されていった。補給のないままラバウル作戦は終結しトラック島の引揚げを前に九二式重爆に搭乗した山本五十六は最後の前線視察を行った。そこで待ち受けていたのは米戦闘機P38であった。この映画はゴジラのスーツアクターであり航空兵役の中島春雄は本作で身体に火をつけての日本初のファイヤー・スタントを演じておりまた戦闘シーンは主に記録フィルムと「加藤隼戦闘隊」「ハワイ・マレー沖海戦」「雷撃隊出動」など旧作の特撮フィルムを流用しました。主役を演じた大河内傳次郎は大正・昭和の映画の大スターで当たり役となった「丹下左膳」の“姓は丹下、名は左膳”という決めセリフが一世を風靡、後代まで多くの芸人が物まねのレパートリーにする名文句になった事で有名である。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村太平洋の鷲(DVD) ◆20%OFF!