カテゴリ:小説
『巨船ベラス・レトラス』(筒井康隆)と『あらゆる場所で花束が……』(中原昌也)を読了。
『巨船ベラス・レトラス』(筒井康隆)は『大いなる助走』以来27年ぶりの「文壇物」という触れ込みでもあったが、さて『大いなる助走』を愛読した身としては、考えることが多い。 『巨船ベラス・レトラス』はメタフィクション構造を取っているが、筒井康隆なら意外でも奇妙でもなく、むしろ古典的な形式にさえ見えてしまう。そのあたりがどうなんだろか? 素直な形式の(といっても工夫はもちろんあるのだが)『大いなる助走』のほうが内容の濃さでは優っているように見えてしまう。早い話が『大いなる助走』の登場人物は生身の人間のようにひとりひとりの顔が見えたが、『巨船ベラス・レトラス』のほうでは揃って作者のあやつり人形のような存在感しかないのだ。 『あらゆる場所で花束が……』は果して読み通せるものか自信がなかった。わずか200枚の作品だが、とてもじゃないがまともに読める文章ではない。パラパラと開いたが読む気が起こらない。 三島賞の選考の場で高樹のぶ子と宮本輝が「全否定」したのもよくわかる。 しかし義務のように覚悟を決めて読み出したら、あら、読めてしまった。 それでずっと思い浮かんでいたのが「ある種の映画」で、どういう映画かというと、観客の評価が「途中で観るのをやめた」と「面白かった」に二分される映画である。 観客を置き去りにして、意図もよくわからない映像が断続的に流れて、観客に意味を探すことを強要する映画。たとえば、『マグノリア』(1999年)とか。 そう思って読むと作文以前のような安手の文章も映像のイメージをダイレクトに伝えるもののように思われてきて、これでいいのかと納得したりもした。 だからいい小説だとは言わないが。 今日はブックオフで5冊購入。 単行本『文学部唯野教授』(筒井康隆)105円 単行本『日蝕』(平野啓一郎)105円 単行本『蹴りたい背中』(綿谷りさ)105円 文庫本『イッツ・オンリー・トーク』(絲山秋子)250円 文庫本『無情の世界』(阿倍和重)250円 綿谷りさは『インストール』も未読なのだが、105円だから買った。 筒井康隆以外は初読の作家ばかりである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月24日 23時11分40秒
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