カテゴリ:小説
『文学部唯野教授』(筒井康隆)を読んでいる。
面白い。105円はお買い得だった。 ところで、作中に文芸批評の講義の場面が章ごとにあって、そのなかに哲学に関する話が多い。 当方は哲学には縁なき身なのだが、先日の『小説の自由』『小説の誕生』に続いて、図らずも哲学話を読むこととなった。 これを偶然と見るのか、必然と見るのか、これも哲学の考察になるかもしれない。 もっとも『小説の自由』『小説の誕生』で繰り返し語られていたことは、哲学は(文学もそうなのだが)考察している時間の中にしか存在せず、その考察の結論だけを聞いただけでは屁のつっぱりにもならないとのこと。 音楽は聴いている時間のなかにしか存在せず、料理は食べている時間のなかにしか存在しない。そう言われればなるほどと思う。 美味い料理を食べて美味いと思うのは食べているあいだ(時間)であり、食べ終わってからあれこれ言っても、あるいは美味しかったと思い出しても、それは料理そのものではない。だから料理は食べている時間にしか存在しない。もちろん食べる前の料理もまた料理そのものではない。哲学も文学もしかりで、哲学は考えている時間にしか存在しないし、小説は読んでいる時間にしか存在しない。 目の前に本があっても、それは楽譜のようなもので、楽譜が音楽そのものではないように、本は小説そのものではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月25日 22時58分18秒
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