移りゆく季節の中で訪れる我が古里の山野辺の道
朝から急用があり、午前中はばたばたと過ぎていった。午後になって墓参り(毎度言ってるが墓掃除が主・笑)に行く。両親の眠る墓は小高い丘の中腹にあり、見下ろすと町が一望出来る。昔はよく住みかなどを作って遊んだ地、お墓さえ黙視すれば、春には最高の花見の場所がある。いずれは自分も眠りに付く場所だが、都会のようにコピーの並んだ何とか霊園でなくてよかったよかった。今、ニュースを見てて吉野家の牛丼に並ぶ、あほな輩を見て一言。ないものねだりというか、群衆心理にすぐ感化される、あわれな姿に涙が出てきたよ、全く。普段もっとうまいもん食ってんだろといいたくなった。とにかく、話は変わるが行列の出来る店は、いかに安くても、美味くてもすでにサービス業の店として失格だと案山子は思ってる。おのずと店員は客の扱いがお座なりになるし、さばく数が多くなるほど味が悪くなるのは否めない。そして何もしなくても客が来るとおごる気持ちが芽生えてくる。奢れる者は久しからず、ペンペン!その最たるものが讃岐うどんの店だ。過去、年間800食近くうどんを腹の中に消費していた案山子にとって、うどんとは何も特別なものでなくごくごく大衆の食べ物であると自負している。それを散々美味しいものを食べ散らしたグルメスト達の白羽の矢が、讃岐うどんに向いたから堪らない。シャネラー族のおばちゃん達が香水をぷんぷんさせて、うどん行脚。音を立てずに、かけうどん一杯を、井戸端会議の延長のように賛美しながらすすってる・・・案山子はそんな姿を見ると、天に代わり鉄槌を下すべく、特大三玉のかけうどんを抱えシャネラーの隣にしずしずと座り、やにわに「ズルズルずるずる~~~!」と一分で平らげて、大声で「おばちゃん!もう一杯!!!」と叫ぶのであった・・おっと興奮してしまったわい。脱線。。