スタジオジブリとゲド戦記
宮崎駿先生の作品は好きです。特にナウシカが好きです。でも、次のスタジオジブリの作品が「ゲド戦記」というのはいかがでしょう?監督はなんでも宮崎駿先生の長男らしい。彼はなぜこのような恐ろしいことができるのでしょう。しかも、ゲド戦記をアニメ化することに対して宮崎駿先生は反対をされていたそうです。「ゲド戦記」といえば私の好きな女流作家であり、SFの名手アーシュラ・K・ルグィンの作品で、彼女にしては珍しく小学校高学年から大人まで楽しめる本格児童文学です。彼女の書くSFは精神的な奥深さがあり、大学の授業で取り扱われたりします。つまり、哲学的で難しい。子供向けのはずなのに、タダ単なる西洋世界の勧善懲悪の物語ではなく、主人公ゲドが自分の愚かさを見つめ自分の影の部分を受け入れるという、そんな静かな精神の戦いなのです。シリーズも、徐々に主人公の座を次世代に譲っていくというかなりシリアスな「灰色のファンタジー」。(本当は「ロマンスグレーのファンタジー」と言いたいが片仮名多すぎ)私はそこに西洋の思想と言うよりは、東洋的な思想を見出してしまいます。「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ 飛翔せるタカの 虚空にこそ輝ける如くに」 これは冒頭の言葉。私はその灰色さに胸をときめかせてしまいます。日本人は、音そのもの、絵そのもの、言葉そのものよりもそのモノによって強調される空間や静寂を好みます。白い色は黒の中でこそ活きることを知っています。「行間を読め」という言葉や、水墨画の白紙。それから有名な「古池や かわず飛び込む 水の音」。この俳句で著者が楽しんでいるのは、音ではなく、それによって導かれる静寂ですよね。ルグィンのこの冒頭の言葉は、こうして見ると日本人の思想とぴたりときませんか?少なくとも私はこれだけでやられました。。。この作品に大きな衝撃を受けた私は、彼女の作品に色々手を出しましたが、わたしは、どう考えても「ゲド戦記」はアニメ化できる作品ではないと思うんです。精神的な奥深さは、アニメ化してもたとえジブリでも引き出すことはできまいと。宮崎 駿もそれを感じたので反対していたのではないでしょうか?私はジブリ映画の大ファンです。だからこそ、こんな怖いもの知らずな事をして大丈夫かと、幻滅させないでくれと心配でなりません。さて、来春どうなるか、できばえがある意味楽しみです。