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カテゴリ:芸術
■万葉歌木簡:京都の遺跡で3例目出土 編さん期とほぼ一致 京都府埋蔵文化財調査研究センターは22日、木津川市木津の馬場南遺跡で、日本最古の歌集「万葉集」の和歌が書かれた木簡が見つかったと発表した。一緒に出土した土師器(はじき)などの年代から750~780年ごろのものとみられ、万葉集が編さんされた年代とほぼ一致する。万葉の歌木簡は宮町遺跡(滋賀県、8世紀中ごろ)、石神遺跡(奈良県、7世紀後半)に続き3例目。 関西文化学術研究都市の開発事業に伴い、田畑だった2000平方メートルを調査。木簡はごみ捨て場とみられる川の中から見つかった。長さ23.4センチ、幅2.4センチ、厚さ1.2センチ。下部が折損しており、全長は約60センチあったとみられる。 表には万葉仮名で「阿支波支乃之多波毛美智(あきはぎのしたばもみち)」と11文字が墨書され、万葉集にある読み人知らずの和歌「秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経(へ)ゆけば風をいたみかも」(巻10)の前半部分と一致した。 歌は「萩(はぎ)の葉の先が赤く紅葉し始めた。時がたち風が強いからだろうか」の意味。赤外線カメラで見ると、裏には字の練習の跡とみられる「馬」などの文字が残されており、手習いをしつつ流行歌をしたためた様子がうかがえる。【谷田朋美】 ▽栄原永遠男(さかえはら・とわお)・大阪市立大教授(日本古代史)の話 万葉集の1~15巻は740年代後半に編まれたというのが定説で、今回の木簡は世に出た後のものと考えられる。万葉集の歌が当時どのように流布し、浸透していたかを知る貴重な資料になる。 [毎日新聞] (2008年10月23日) ☆ヨーロッパから千年以上の遺物が発見されたとき、それは現代のヨーロッパとはほとんど無関係なものである。 中国は漢民族だが、孔子の時代と、始皇帝の時代はずいぶん民族性が入れ替わっている。 三国志時代以降、中国大陸を支配したのは漢民族ではなく、遊牧民族だった。 万葉集。 これはわれわれの先祖が愛し、われわれが受け継いだ文化なのだ。 これが伝統というものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.23 20:22:08
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