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カテゴリ:芸術
■甲骨文字より古い?中国・山東省で記号刻んだ獣骨発見
【北京=佐伯聡士】新華社電(電子版)によると、中国山東省昌楽県で、計約600もの記号が彫られた獣骨片約100点が見つかり、考古学専門家が考証した結果、中国最古の体系的な文字とされている殷墟(いんきょ)の甲骨文字よりも古い約4500年前の文字だった可能性があることがわかった。 この獣骨片は、愛好家が2004年に同県の遺跡で発見し、専門家が研究を続けてきた。内容はまだ解読はされていないが、古代文字の変遷を研究する上で貴重な証拠になるという。 [読売新聞] (10月25日3時9分配信) ★この研究が進むと漢字論争はだいたい決着すると思う。 「本当は怖ろしい漢字」 http://www.saiz.co.jp/ わが国では文化勲章受章者の立命館大学名誉教授・白鶴美術館研究員だった故・白川静老師の漢字論がほとんどの定説を形成している。 http://www.bookclubkai.jp/interview/contents/019.html 白川さんは若いころ、漢字の起源は呪術的な形象が多いと指摘された。 いわゆる「漢字・オカルト説」である。 しかし、これは物証がないとして、当時の歴史学者、特に京都大学のセンセイたちに徹底的に非難された。 晩年の白川さんの本を読むと、そのようなオカルト説はかなり綺麗に掃除されてしまった。 口頭や座談では「白の字はドクロ・頭蓋骨の形象なんだよ」と気楽に述べているが、論文や辞典では批判を受けないように、オカルト説は論文の範囲で仮説としてあげるようになった。 しかし、曹操閣下は次のことを指摘したい。 「平」という字の起源は、古代中国で異民族を討伐した時、敵軍の兵士や住民たちを生き埋めにして、地面を平らに踏みならした形象である。 「成」という字の起源は、首切りの死刑執行人が切り取った首を串刺しにして、「はい、死刑が終わりました」と民衆に掲示する形象である。 これは殷時代につづく西周時代の成王、平王の治世評価にも合致する。 周の成王は、殷のように大臣たちの首をたくさん切った王様なのである。 周の平王は、異民族を追い払ったが、自分に逆らう大臣たちを弾圧して処刑した王様なのである。 後の東周(春秋)時代にも、楚の平王は伍子胥(孫子兵法の孫武の同僚)の父と実兄の一族を皆殺しに処刑してしまった。 復讐を誓った伍子胥は、呉王と呉軍を押したて、ついに楚の首都を陥落させると、平王の陵墓を破壊して、王の遺体を市場にさらして、自分の手で鞭打った。 こんな暴虐無道で冷酷な王様を「平王」というのである。 ところが白川老師の本では、「平」は両手を使って工具で木材を切りそろえる形象である、という。 「成」は、処刑用具を飾っている場所を形象していて、処刑用具の新品ができあがると野獣の生け贄(イケニエ)の首を試し切りして、刃に地を塗る儀式をすると。 いかにも苦しい説明だ。 そんなことはありえない。 楚の平王の先祖、成王は、重耳(晋の文公)の亡命を受け入れ、後に文公と戦った君主である。 名君であったが、晩年になると、この王も讒言を信じて大臣を殺した。 もちろん高齢で老人の脳病になっていたと考えられる。 そこで三国志で有名な「霊帝」と同じ「霊王」と死後の名づけの儀式をしたが、死体の目が閉じない。 目が閉じない死体は「真」の形象だというが、みんな不吉だと恐れた。 いろいろやって「成王」と名づけたら、やっと目を閉じた。 だから大量虐殺・権力弾圧をやったという意味もあるが、粛清や革新的な転換に犠牲を出して「成し遂げた」という意味もある。 いずれにしても「成」には刑罰でたくさんの首を切り落とす意味があるのである。 したがって、わが「平成」という時代は、一言でいえば、生き埋めと首切りの時代だということになる。 白川老師は「平成」という元号を聞いたとき、その不吉な文字に心中慄然としたのではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.26 19:00:36
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