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テーマ:戦略のあれこれ(498)
カテゴリ:芸術
過去の罪でヴァチカンさえもが隠蔽工作に走るとすると、西側諸国の指導者たちもまたナチスの戦犯を引き出して、自分たちの共犯関係が暴露されるのを恐れた。 バルビーが「虐殺者」として宣伝されたのは、フランスのレジスタンス指導者だったジャン・ムーランを逮捕、拷問して、死に至らしめたこと、そしてムーランを国家的な英雄に祭り上げることで、レジスタンス運動に参加していた多くの左翼運動家の巨頭を取り込もうとしたドゴール大統領の政権運営方針にあったという。 ここで奇しくも、以前にもネット講義でも紹介しているフレデリック・フォーサイス原作の映画、【ジャッカルの日】の背景事情に符合する。 当時、フランスはドゴール政権がアルジェリア独立を認めたことで、軍部の右翼がドゴールに反発し、暗殺しようと何度も試みた。 それで最終的に「英国系の暗殺者ジャッカル」が雇われる。 軍部に離反されたドゴールは五月革命で学生運動にも圧迫され、左翼勢力にも支援を求めなくてはならなかった。 それでジャッカルが暗殺の舞台に選んだ、過去のレジスタンス運動の功労者叙勲というドゴール将軍の巧妙な左翼ひきつけ政策が明らかになる。 ムーラン神話をつくり演出した作家のアンドレ・マルロー文化相は、元コミンテルン所属の共産党員として中国の上海に地下組織づくりに参加した自伝を書いている人。 アメリカはドイツで諜報組織のオルガナイザーをしているバルビーの逮捕を公然と拒否した。 愛国的なフランス国民は激怒したが、政府は強いて要求せず、アメリカと妥協した。 というのは、当時のフランス政府の高官たちに、過去にバルビーと共犯関係にあった人物がたくさんいたからだという。 南米に亡命してからはボリビアの歴代軍事独裁政権がバルビーを保護したが、やがてバルビーとボリビア政府はコカインを製造してアメリカに輸出する事業を始め、ついにCIAに見放された。 フランスの政権動向も影響した。 ボリビアでアメリカの黙認で軍事政権が倒れ、民政移管で左翼政権が誕生したとき、ついにバルビーは逮捕された。 ボリビア政府が「フランスにひきわたす」と連絡したら、フランス大使は消極的だったという。 というのは、社会党のフランソワ・ミッテラン大統領は、実はナチスに戦時下協力したヴィシー政権でキャリア官僚をしていたからだ。 あのミッテランさえも過去の共犯関係を暴露されるのを恐れていたのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.14 16:49:18
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