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テーマ:クリスチャン・ライフ(754)
カテゴリ:芸術
この勲章はヴァチカン教皇国に次ぐ世界最小の国の一つ、サン・マリノ共和国の聖アガサ桂冠章という。 画像はきちんとしたエナメル画の丁寧な手描きで、顔立ちも綺麗で大好きな勲章の一つ。 ゆえにあまり持ち出さない秘蔵の功顕章ということになるが。 今日はクリスマス・イヴなので、この聖女アガサの紹介をしよう。 現代のマザー・テレサはすでに多くの人々から「聖女」とされている。 私もマザーの写真とハウスでもらった記念のタオルを遺品のように大切にしているが、カトリック教会では聖女は「守護聖人」として、日本の恵比須さまや大黒さま、菅原道真公のようにいろいろなお守りや象徴とされる信仰の偶像の一つになっている。 一番有名なのはサンタクロース、ドイツ語でザンクト・クラウス、つまり聖ニクラウス。 子どもたちの守護聖人。 ニクラウスはギリシャ地方の裕福な家庭に育った若者だったが、隣りの家の娘三人が貧困のために売春ブローカーに人身売買されかかっていると聞いて、煙突から金貨を投げ入れてやった。 それが暖炉に干してあった娘の靴下に転がり込んだ。 これがサンタクロース伝説の由来だが、9世紀にノルマン民族が大移動したときに、聖ニクラウスがキリスト教の古い祝祭日をノルマン人伝統の冬至祭りと同日に変更したところ、ナポリやシチリアを占領したノルマンの指導者たちがキリスト教に改宗した。 初期のキリスト教はすごく柔軟だったのである。 次に有名なのは聖バレンタイン、聖ヴァレンティアヌス。 キリスト教徒たちがまだローマ帝国の弾圧を受けていた2世紀に、皇帝クラウディウス2世 がゲルマン民族の移動とササン朝ペルシャの圧迫のため、兵役名簿に記録された男子に結婚を禁止する命令を出した。 故郷での結婚は兵士の逃亡や徴兵拒否の原因だと考えられたからである。 イタリア中部の地下組織の指導者だったヴァレンタイン司教は反対したが、兵士の恋人と死別した老女の結婚儀式をおこなうことでギリギリの抵抗を試みた。 ここからがローマ帝国のすごさだが、ヴァレンタインの挑戦はやがて密告で察知され、ローマに引き出されて投獄された。 するとヴァレンタインは看守の娘の目を治し、改宗させたので、伝え聞いた皇帝は驚愕して処刑を命令した。したがって恋愛・結婚の守護聖人。 2月14日の処刑の日がセント・バレンタイン・デーということだ。 ハート形のチョコレートを女性がプレゼントする習慣は、日本の不二家やメリー・チョコレートが宣伝して定着させ、今では海外でも広まっているらしい。 話題がそれたが、聖アガサもキリスト教が弾圧されていた時代に、シチリア島で生まれた。 貴族出身の美人で評判だったので、単身赴任のシチリア総督(法務官級、つまり元閣僚級の地位)が愛人にしようと実家に申し入れた。 実家では大いに困惑した。愛人になると、キリスト教徒であることがバレるからである。 聖アガサは気高い女性だったので、偽装婚約して総督の命令を回避するのではなく、拒否の態度をとった。 すると総督はアガサを拉致して、高級娼婦クラブのマダムにあずけることにした。 しかし、アガサはいかなる快楽にも関心を示さず、マダムは期限までに彼女を娼婦にすることができなかった。 マダムは総督に「あれはものすごく強情な女だから、あなたの愛人にはなりっこありません」とアガサを放免するように説得した。 しかし、アガサの実家もシチリアの名門だから、ここで折れては総督はメンツが立たないと考えて、アガサを強引に引きずり出して問責することにした。 すると賢明なアガサは、 「総督はジュピターのように偉大(だから、たくさん愛人をつくるの)だ。さぞかし総督夫人もヴィーナスのように美しい(から、ローマでたくさんの愛人たちと不倫いる)だろう」とあてこすった。 総督が 「お前はジュピターやヴィーナスを軽蔑するのか」と激怒すると、 アガサは 「私はキリスト教徒だから異教徒にはしたがわない」とカミングアウトしてしまった。 そこで総督はアガサの豊かな乳房を大きなペンチで切断して、なおも愛人にしようとしたという。 これは実話ではないだろう。 乳房を傷つけて、シチリアの市民たちの見せしめにしようとしたのである。 すると獄中に老人があらわれ、彼女の傷の手当をして立ち去った。 伝説では聖パウロがあらわれ、奇跡をおこしたのだということになっているが、それだったら逃亡を助けてあげるべきだったが。 牢獄の看守もシチリア人だったから、美しいアガサに同情し、総督の残酷に反発して医術者の訪問診察を許し、痛みをやわらげる処置をしたのだろう。 さてアガサは気丈に激痛に耐えていたが、それがまた総督を激怒させた。 今度は赤く焼いた鉄格子の上に寝かせて拷問するという。 処刑当日になって、シチリア島は大地震になり、処刑は中止された。 アガサは拷問でキリスト教徒たちがさらに弾圧されることを悩み、ついに「シチリアの人々にこれ以上迷惑をかけられない」と自殺した。 当時のキリスト教徒の指導者たちは、カミングアウトで被害があったものの、アガサの殉教を賞賛した。 おそらくシチリアのキリスト教徒たちは弾圧を逃れて地中海マルタ島に逃亡し、初期の聖アガサを祭る地下の礼拝所を建設した。 それが世界遺産・マルタ島の聖アガサの墓所ということになっている。 聖女アガサは抑圧・虐待された女性、そして看護師、手術で乳房を切除した乳ガン罹患者の守護聖人となるが、聖アガサの地下墓所は中世マルタ騎士団がイスラム教徒の侵攻に抗戦したとき、地下司令部の役割を果たした。 それで小さな国家の独立の守護聖人(SANT’AGATHA -o- PROTETTRICE)にもなっているのである。 ここで偶然に驚いたことがある。 聖アガサの墓所に刻まれた「PX」の合わせ文字。 これはマルタ騎士団総長を意味する聖ゲオルグの紋章なのだが、旧パルマ公国(現在はルクセンブルグ大公家)の聖ゲオルグ・コンスタンティヌス十字章にも「PX」がついていた。 ヨーロッパの歴史の地下水脈、それがマルタ十字騎士団なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.28 22:00:03
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