人生の冬がやってくる(5000アクセス記念)(←ウソ)
今日も真冬日の散歩道を2時間ほどジョギング。いくら天気のよい週末とは言っても、この季節に散歩している人影はいつもまばらだ。2時間の間にすれ違ったのは、物好きなジョガーが数人と、散歩している若者2-3人と老人が6-7人。そういえば、この近所に何軒か老人ホームがあったっけなあ。冬場は若者よりも老人の方が活動的だったりするのかな、…などと一瞬誤解しかけたが、考えてみるとこの老人たちが若者だった頃は、セントラル・ヒーティングも温風器もなかったわけで、若造どもの世代よりも寒さに耐性があるんだろう、きっと。寒さに限らず、若造どもの世代は生まれた頃から恵まれ過ぎていて、すっかり怠け者になってしまったよなあ。ちょっと歩くとか、何か作業をするために体を動かすことさえ億劫になっちまった。おかげで、アメリカに至っては総人口の6割が肥満体というオゾマシい事態になっている。それにしても、冬場のじいさんバアさんの散歩って、見ていて何かものさびしいなあ、…などと走りながらオイラは考えていた。じいさんバアさんと「冬」というのは、あまりにも似合いすぎるのだ。要は、じいさんバアさんの存在は、「冬」の風景に相乗効果を与えるんだなあ。これは、夏場のビーチの風景にじいさんバアさんがマッチしないのと同じだ。春の風景には無垢な育ち盛りのコドモたちがよく似合う。夏の盛りの風景には、若いネーちゃんや青年たちがよく似合う。--人生を「春夏秋冬」にたとえたのは、なかなか的を得てるなあ。…すると、30代後半の中年のオイラなんかは、季節で言うと秋の真っ只中にいて、すでに秋の紅葉を過ぎる頃か。若者たちが、自分が「夏の盛り」の中にいて、じいさんバアさんが「冬」を生きていることは大いに自覚があるだろうが、中年は自分らが「人生の秋」を迎え、その秋色が深まることにあんまり自覚がないような気がする。だいたい、人生の夏から秋にかけてはみんな忙しくて、人生の季節の移り変わりに注意を払う余裕がないんだよな。彼岸近くになってもとつぜん夏のような暑さがぶり返すような日があったりするので、季節が秋色を徐々に深めていることに気づかなかったりするんだな、きっと。自分が「秋」の中にいることを感じることができるのは、ようやく「彼岸」を過ぎた頃だろう。「暑さ寒さも彼岸まで」で、彼岸を過ぎるともう「暑い日」はやってこない。そこでようやく秋が来たことを悟る。この人生の「彼岸」は、オイラの独断では35歳前後かなあ。オイラも寒い冬の到来に控えて、冬眠前のリスのように今のうちに心の準備をしておくに越したことはないだろう。日々のジョギングも、言わば冬を元気に迎えるための「仕込み」のようなものかもしれないな。