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今日はちょっと長くなりますが、一気に書いてしまいます。
この旅行記は平成9年3月12日から3月26日までの15日間、かむなから6名で 南米ボリビア、アルゼンチン、南パタゴニアを現場神業した記録です。 島さんの「とにかく夜明けを待とう。絶対寝過ごすなよ」 の警告が無くても寝られるわけがありません。 いよいよ症状は重くなり、耐えられないほどの頭痛です。 そのまま島さんの部屋に残り、酸素をもらうことにしました。 生まれてはじめての酸素ボンベです。 窓の空が白んできます。 「島さん、もうこうなったらベランダで待とうよ」 「そうだな、そうするか」 全員にベランダ集合が告げられます。 2階のベランダ、6人が並ぶと一杯になりますが窮屈な広さではありません。 そこから見える景色は 松島、伊勢志摩英虞湾、瀬戸内海、九州の九十九湾のように 小さな島々が海に浮かぶまことに美しいものでした。 http://members.at.infoseek.co.jp/sekai80/titicaca.html (太陽の島レポート中段の『翌日、歩いて島内探検に出かける』に それらしい雰囲気がわかる写真がありますが、実際は島の数はもっと濃密でした) 水平緯線付近には瑞雲がたなびき、太陽の島の上空を覆う形になっています。 太陽の島から昇ってくるお日さまが雲に隠れるようにその姿を少し見せた時 ローソクに火がつけられました。 6:13 〈うその道タテカエ祭〉 南のベランダ東向き 正面眼下に月の島 点火 先達:まさひろ 1-1 安井水晶玉2ヶ 太平洋神鈴各1ヶ 赤米、豆7種、塩、水、酒 6:45 太陽を討つ(押し出し浄めの眉間版:両手の掌を眉間に置き、指は正面の太陽を指す。 ズンと突き出し、両手を拡げる。) 討った瞬間、水が弾けるようにその太陽が飛び散った。 さんぜんこんげん×1 真正面に真っ赤に燃えるような太陽が雲の合間に昇ってきます。 眺めているとまるで正面の「太陽の島」から道が通っているように 太陽からの光が湖面に反射して写っています おおこれは本当に太陽の道が出来てるぞと感動します。 ところがなんか変なのです。 まるで並行する道路があるように、島から2本の太陽の道があるのです。 「ねえ、みいちゃん、太陽が二つあるような感じだねえ」 私が呼びかけます・ すると島さん 「本当だ、太陽の道が2本ある。こりゃすげえなあ」 みほさん、きっぱりと強い口調で取り次ぎます。 「まさひろ、どちらの道を残すのか選びなさい」 しばし沈黙が続きます。 そりゃそうだ、いくらなんでもいきなり選べと言われても。 なんかとんでもない選択をしなくちゃあならないことは 雰囲気で子供でもわかります。 「おい、みいちゃん、まさひろにそれは無理だ」 島さんが助け舟を出しますが 「いいから、まさひろ、選びなさい」 みほさんが言っているのでないことは全員理解しています。 それにしても神さんもきっついなあ。 私が声を出そうとした瞬間、息子はきっぱりと 「右」 おいおい、言っちゃたよう。 みんな何も言えず、ただじっと湖面を眺め続けます。 1分後、2本あった左側の太陽の光が薄くなっていき始めました。 口々に、あっ消えていく、消えていくと叫びます。 ものの30秒でその左の太陽の道は、消えてしまったのです。 あとにはひとつの、太陽から伸びる1本の太陽光線の映像しかありません。 その太陽の道は「月の島」まで一直線に到達しています。 いったい今の現象はなんだったんだろう? すかさず取り継ぎが再開されました。 6:47 取り継ぎ 『大切なものはいつも隠れています。正確に言えば、隠れていました。 しかし、もうその必要はないのです。 先程見たうその道と、あなた方に真っ直ぐに続いたこの道の違いは分かりますか。P. この島を助けて下さってありがとう。 うその道に対して決して開かれる事のなかった大事な宝箱は、 今、正しい太陽に向けて、開かれました。P. 闇のタテカエは少しく人間界にひずみを残しますが、これも必ず消えます。 そして、その後に生まれた、この光の世界は、 何の傷も負う事なく、本当に大切なものを照らします。 その日が神界に告知されたのは13日。 晋たなる世界から駆けつけてくださった世乃元之神に深く感謝すると共に、 本当の意味での生と死の境の線を越えてここまで参じてくれた皆に、 代表で御礼申し上げます。P. テンテン レイメイ コンゲン サンカ バリガ』6:59 取り継ぎ 『これから働かれる事になるのです。 明月大樹之大神の態様を覚えていらっしゃいますか。 体を張って守って、あそこ迄が精一杯だったのです。 彼らの対応を全て竜体神に委せてしまったと考えたら、 今日のまつりは難しかったやも知れません。 竜体神の神々を守るのも我らの仕事でもあるのです。』バリガ 7:04 7:05 まさひろ、神鈴鳴らし。 どうやら戸田家のお役の責任のひとつはこなせたようだ。 「かむなから」として数々の現場神業をこなしてきましたが 神様から正式にお礼を言われたのは初めてです。 『その日が神界に告知されたのは13日』 13日といえば日本を飛び立った飛行機が子午線を超えた日のことだから 「かむなから現場神業隊」が動くというのはそういうことか。 ただあまりのもスケールの大きいことなので これがどんな意味を持つのかという実感が出てきません。 まっ12年もすりゃわかるかなと思ったものでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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