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この旅行記は平成9年3月12日から3月26日までの15日間、かむなから6名で
南米ボリビア、アルゼンチン、南パタゴニアを現場神業した記録です。 <出獄> 3月20日、待ちに待った4600メートルからの脱出です。 今度飛行機を出たら、海抜0メートルが待っている。 あんなにフライトが楽しみだったことはないですねえ。 でもアルゼンチンへの直行便ではなく またぞろ南米大陸の左端、チリの首都サンティアゴ空港こで乗り継ぎだ。 お金のせいなのか、航空会社の都合なのか、神様の都合なのか知らないけれど 南米大陸を空でとはいえ横断しなくちゃあならなさそうだ。 やれやれ、しんどいなあ。 サンティアゴ空港で2時間の待ち。 それでも空気の濃さにみるみる食欲が沸いてきて サンドイッチやらサラダ、アイスクリーム、ケーキ 目に付くもの片っ端から食べ歩き、息子にあきれ返られた。 空港待合ロビーから外に出ることが出来たので、ちょっと覗いてみました。 ちょうどお月様が昇ってくるところです。 慌てて島さんを呼びます。 とてつもなく大きな満月だったのです。 二人して、すげえなあとため息を付いていたのが懐かしい。 サンティアゴ空港からブエノスアイレスに向かう飛行機の中で考えた。 チェロ峠の「なきもの様」の言葉を聞き、 自分の中で今までの認識が壊れていくことを感じていました。 <闇を愛する> 神は 「闇を本当に愛することが出来たら旅は終わりだ」 と言ったことがあります。 「闇」とか「虚」とかを「悪いもの」と捉えるようになったのは何時からだろう。 人間は「心の闇」とか「虚言」とか使うように これらの言葉に「善悪」の評価を被せてしまいます。 本来は「光と闇」「実と虚」は物理用語であって、善悪関係ではありません。 それがいつしか善悪という「差別用語」になってしまいました。 この感覚が「光と闇」「実と虚」を見誤らせる素因となっている。 そうではないのだ。 光の中にも善と悪が存在する。 闇の中にも善と悪が存在する。 実の中にも善と悪が存在する。、 虚の中にも善と悪が存在する。 自分がどちらを選んで生きていくのかは自己責任。 しかし、闇は悪いもの、虚は悪いもの、と決め付けてはいけないのだ。 たまたまチェロ峠の「なきもの様」は、光ある世界のすべてを欲しがった。 確かにそれは混乱を招いたという罪です。 そのことはなきもの様はそれを認め、もうやらないと誓ったわけです。 しかし、「あるものの世界」と「なきものの世界」があるという事実は 人間よ、知ってくださいとお願いをされていたのです。 憎しみも、怒りも、悲哀も、出来たら避けたい。 悪をせず、良いことをして生きていきたい。 これは絶対にそうしたいです。 これらほ自分の心で難しいことですがコントロールできます。 しかし、この世には絶対存在してしまうものですから 全否定、心から完全消去など出来るものではありません。 認め、でもちっちゃくなっていてねと願うしかありません。 問題は「暗闇」とか「虚」です。 その存在自体には「善悪」はありません。 なにかが「闇」「虚」を良くないもの、本流ではない亜流、傍流として 蔑んでしまおうとした意図が感じられます。 「直系傍系」「本家分家」「本流傍流」いったいどこに差があるというのだろう。 闇は悪ではない。 悪である闇はある。 悪である光だってある。 『場』 場所、位置、領域だけでものを判断してはいけない。 表面に出る見掛けだけで判断してはいけない。 それに捉われることなく、その本質を見なければならない。 それが「闇を愛することが出来るか」と問いかけた神の真意だろうか。 南米を西から東へ横断する飛行機の中で考え続けました。 しかし今もって正解を神はおっしゃていませんけどね。 夜の11時、やっとアルゼンチンのブエノスアイレス着陸。 結局丸々1日の移動だ。 正直むちゃくちゃ疲れてきた。 市内に入ると自動車道路の広さに驚く。 名古屋は100メートル道路といって広い道路が有名ですが 片側4車線の道路の中央分離帯がだだっ広いだけです。 ところがブエノスアイレス市内は片側何車線だろう、やたら自動車道が広い。 一生懸命横断ほどを渡ろうとするのだが、間見合わない。 車線の数も数えられないほど多くて、明確に線引きされていない。 すごい国があるものだ。 ホテルの部屋へ入るとどっと疲れが出て、バタンキューで寝入ってしまう。 それにしても酸素はありがたいものだと感謝する。 3月21日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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