ミュージカルの話・続々 レコード(CD)だけで知るミュージカル
ラジオ番組やレコードで音楽だけ、せいぜいざっとした粗筋だけを知っている、とても気に入っているミュージカルがいくつかあります。舞台を観る機会がなかった、映画化されていない、あるいはされていても日本で公開されていない、脚本が出版されていない、といった作品です。『ブエノス・アイレスのマリア』が、わたしにとっての、その作品です。作曲は現代タンゴの巨匠、アストル・ピアソラです。以前にも書きましたが、わたしが高校生だったとき、NHK FMの番組で、この作品を聞きました。ミュージカルを紹介する番組だったので、二枚組LPの、全曲ではなかったかもしれませんが、かなりの曲を聴きました。「タンゴ・オラトリオ」と紹介されていたと覚えています。貧民街で生まれ育った「マリア」という女性の苦い人生を描いていますが、出来事よりも心情にテーマを置いて、曲を綴っています。男性、女性歌手各一人に少人数のコーラス、作詞者が(これは悪魔でしょうか、運命でしょうか)語り手として参加しています。タンゴと言えば、アルゼンチン・タンゴにしろ、コンティネンタル・タンゴにしろ、ダンスのための曲、レビューのナンバーとして認識していたので、これだけ表現性に富んだ「芸術タンゴ」があるのかと、大変に驚き、ずっとわたしの心の中で、大きな場所を占め続けてきました。(後に、『ロミオとジュリエット』を演出したとき、この作品をバックに使い、40年近くたって本懐をとげました。)むせび泣くようなバンドネオンの音色が、また天から振ってくる運命のようにも響き、ハスキーなマリアの「ラララー」の歌声、官能的で暖かいテナーの甘い声、クールな語り手の声。わたしの感性にピタリと来ました。芝居の必要はない、まさにオラトリオとして上演されるべき作品ですが、当時はまだタンゴをクラシックの演奏会で取り上げることはなく、またタンゴ演奏者たちに、この作品を取り上げる気概はありませんでした。それで、わたしにはずっと、幻の作品だったのです。最近はユーチューブで、この作品の一部の演奏や、上演舞台の断片を見ることができます。今でしたら、ピアソラは人気を得て居ますから、新しい録音も出ているでしょう。タンゴが好きとか嫌いとかでなく、是非に聞いていただきたい作品です。ユーチューブだと、マリアのソロぐらいしか聞けませんが、序曲を始めとする演奏曲も、語り手のパートも素敵です。『ゴッド・スペル』というミュージカルがあります。イエスの最後の何日かを描く作品で、『ジーザス・クライスト・スーパースター』と内容はほぼ重なります。『ジーザス』は、はっきりとロックやクラシックが土台にあり、大がかりな作りをしていますが、『ゴッド・スペル』は非常にシンプルな音楽で、作りも大げさではありません。と言っても、この作品も例のNHK FMの番組で聞いただけなので、詳しくは解らないのですが、曲を聞いた範囲ではそう推測しています。これも気になったので、イギリスに滞在したときにカセットテープで買いました。(残念ながら、今は劣化して聞けません。)ゴスペル調の歌があり、それがとても印象的です。"Be free" というナンバー(「ミーレードー/↓ファー↑レー↓ファー/↓ミー↑ドー↓ミーレー」のメロディで始まる)がアカペラソロからコーラスにはいってゆくところが、とても好きなのです。『ジーザス』よりこちらの方が、わたし好みです。ロンドンにいたとき、地域の劇場でこれが上演されるポスターを見かけましたが、タイミングがあいませんでした。映画化されたかもしれませんが、日本で公開されていませんし、CDもこちらでは出ていないようです。見たい作品です。ロックグループ "The Who" のアルバムに "Tommy" という作品があります。見えない、聞こえない、話せないの三重苦を負った若者、トミーを主人公とした「ミュージカル」仕立てのアルバムです。素晴らしい作品です。"See me, hear me" と歌う若者の声が心に浸みます。ずっと以前に、映画で見た記憶があるのですが、ほとんど話題になっていません。by 神澤和明