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カテゴリ:社説
「楽観主義」は時代の要請 社会現象の背景を説明するために、心理学の言葉が用いられことがある。「共感疲労」も、その一つだ。 意味は、〝他人をケアすることで生じる援助者側の心理的の疲弊〟のこと。もともとは、医療現場で働く人たちが、持続的に患者と接するうちに苦しくなり、疲れてしまう現象を指していた。 昨今、コロナ禍やウクライナ関連の深刻な報道に継続的に接する中で、つらさを感じる人が増えてきたことから、あらためて注目されるようになった。 「共感」は「思いやり」ともいえ、とても大切なものだ。しかし、「共感疲労」は他者に共感する力を疲弊させる。その処方箋の一つとして挙げられているのが、「楽観的に物事を考える」こと。いわば「楽観主義」である。 この「楽観主義」の研究に力を注いだ心理学者の一人が、アメリカ心理学学会であるマーチン・セリグマン博士だ。 25年前の1997年9月、博士は池田先生と対談した。「心理学者」と「仏法者」の語らいは自然と、人間の内面についての探求となった。博士は強調した。 「楽観主義とは『希望』のことです。いつ、どこで失敗したり、苦しい経験をしても、それは『行動』によって変えられるという信念が『楽観主義』なのです」 博士の言葉に象徴されるように、「楽観主義」とは、現状を正当化することでも、〝何とかなるだろう〟という安易な姿勢などでもない。どんな状況でも、それは必ず変革できるとの確信であり、信念である。粘り強い挑戦の中で磨かれるのだ。 「楽観主義」とは、人間的な強さを自在に発揮する境涯の異名ともいえる。この「人間を強くする」ということは、正しい宗教か否かを判断する一つの基準である。 池田先生は博士に語った。 「仏法でも『一心の妙用』として、その一点を多角的に説いています。仏法は『希望の心理学』でもあるのです。そして『希望』こそ、私の一番好きな言葉です」 今、人類は幾多の困難に直面している。だが、人間の力で解決できない問題などないとの確信を、絶対に手放してはならない。 私たちは、人間革命の実践をたゆまず重ねよう。「それでも、希望はある」との信念を胸に。
【社説「セリグマン博士との対談25周年」】聖教新聞2022.9.7 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 25, 2024 05:38:55 AM
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