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May 20, 2024
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カテゴリ:仕事学

命をかける

命をかける覚悟がなければ

成功は期しえない

 

松下幸之助のそばについて七年ぐらいの頃だった。西宮の家の茶室で二人でお茶を飲んでいた。当時の私はまだ緊張しており、松下の隣でじっとしていた。それまでわりとやさしく話しかけていた松下が、そのときは、いささか厳しい表情で、

「心を許して遊ぶという言葉があるやろ。しかし、心を許して遊ぶ人は、経営者にはなれへんで。心置きなく眠る人もいるやろ。そういう人も経営者たる資格はないな」

と、つぶやいたのである。私が、経営者といえども人間だから、たまには遊んでもいいのではないですか、と尋ねると、

「信長は酒を飲んでいる隣国のことは忘れなかったという。命をかける覚悟というものがなければ、経営者になるべきではない」

と強い口調で言った。まだ若かった私は「そんな厳しいものですか」という返事をするのが精いっぱいであった。しかしその言葉の鮮烈な印象は、以後消えることはなかった。

会社にいるときは当然のこと、たとえテレビのCMを見るときでも、この辺りは看板が少ないから自社製品の売れ行きは悪いのではないかと、常に真剣な注意を払って経営に結びつけていた。そしてヒントを得るとすぐに実行し、成功させていた。

経営者は、数人、数百人の社員とその家族の生活を、ある時は生命すらをも左右する存在である。だとすれば、「経営者は経営者は仕事に没頭し、人生から仕事を引いたらゼロになってもいい」という覚悟と実践がなければならない。そしてまた、それだけの価値があるものだということを松下は提言し、経営のために命を落としても、それは本望であると考えていた。

そうことでは身が持たないという人は、およそ経営やになるべきではないのだ。一つの会社の中で税因果そう考えるべきだとは言わない。少なくとも会社の最高の指導者になった人たちは、その覚悟がいる。ほかの社員と同じように、遊びに行きかす、休みも取ります、ということではどうにもならない。

「先憂後楽という言葉があるやろ。せめて一つの組織の最高指導者ぐらいは、先憂後楽の心掛けで、その会社に命をかける思いがなければ、経営はうまくいかんね。みんなと同じように、遊びとか安見とか言っておって、なおかつ経営が成功するなどということはありえないことや。経営というのはそんな簡単なものではないわ」

およそ経営者たるものは、人より先に憂い、人よりも後に楽しむということでなければならない。人が遊んでいても自分は常に働いている。遊んでいるようでも頭は常に働いている。先憂の志があればそうなるのである。先憂を広義に解釈すれば、発意ということにもなる。誰よりも先に発意し、案ずるものを持たなければならない。

ある講演では次のように話した。

「自分はこの仕事に命をかけてやっているのかどうかというと、これまで困難な問題に出くわすたびに自問自答してきました。そうすると、非常に煩悶の多い時に感じることは、命をかけるようなところがどうもなかったように思われるのです。それで、心を入れかえてその困難に向かっていきました、

そうすると、そこに勇気がわき、困難も困難とならず、新しい創意工夫も次々と起こってくるのです。そういう体験をたくさん持っています」

そして指導者が、自分はみんなのために死ぬという覚悟を、部下のために死ぬという覚悟を持っていれば、それはみんなにわかるものである。それがなければ、みんな心から敬服してついていくということにならない。

秀吉が毛利と戦ったとき、高松城を水攻めにした。長大な堤を築き、近くの川にミスを流し込んで城の周囲を湖と化したのである。秀吉の大群に囲まれ、水のため援軍の手も断たれた高松城では、食料も尽き果て、城兵は正を待つのみという状況に陥った。そのとき、城の守将である清水宗治は、自分の首と引き換えに城兵の命を助けるという、秀吉の講和条件に喜んで応じた。そして、みずから舟をこぎ出し、敵味方の見守る中で、従容として切腹したと伝えられている。部下の命を救うということが、戦国の武士としての一つの心構えだったのである。

よく「一将功成りて万骨枯る」ということがいわれる。しかし、ただ何もなくて万骨が一将のために命を捨てるものでもないだろう。そのうらには、清水宗治のように、戦いに利あらざる時は、責任を一心ににない、自分の命を捨てて部下の命を助けるという対象の心意気というか責任感があって、それば部下をして神妙を賭してまで働かせる力になったわけである。

このことは今日の指導者にも基本的に通じることだと思う。幸い今日の時代においては、実際に命を取られるということはめったにない。しかし、いわばそれほどの思いをももって事に当たらなければ、成功は期待し得ないのである。

 

 

 

【成功の法則「松下幸之助はなぜ成功したのか」】江口克彦著/PHP






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Last updated  May 20, 2024 04:34:05 PM
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