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カテゴリ:文化
避難者支援の現場で 服部 育代 絡み合う課題に向き合う 長期にわたる避難に伴う生活の困窮、故郷との二重生活のなか、どうすれば安心して将来を考えることができるのでしょうか。避難者が抱える課題はあまりにも複雑で、それを解き明かすのはとても難しいことだと感じています。けれども、一つ一つ向き合い、複雑に絡み合う課題を解きほぐす以外に方法はないと思っています。私は避難者支援の現場で、その課題を一つ一つ解決していきたいと考えています。 東日本大震災当時は東京に居住し、子育て支援のNPOで活動してきたこともあって、津波被災地のお母さん方の支援を始めていました。しかし、原発事故による避難者への支援が十分でないことを知り、福島にお住いのお母さんや放射能の影響を心配される方々の支援に取り組みました。 震災の都市の8月、岡山県に避難しましたが、岡山には避難者を支援する団体いくつもあり、2014年に、その連携組織「うけいれネットワークはっと岡山」が立ち上がってからは、岡山県に避難される方の支援の手伝いを始めました。さらに16年から、「ほっと岡山」として、相談支援のほか、ふるさと交流会や避難者同士の交流会の企画・運営や情報提供、啓発活動に取り組んでいます。 すべてが手探りの中で始まった支援でしたが、相談支援を基本に進めるなか、課題として浮かび上がってきたのは、各種の支援制度やサービス、情報等の社会資源に避難者がつながっていないということでした。
つながらない社会資源 根底に「孤立」という問題が
関係性に着目した交流会も 何故支援の枠組みに避難者はとらえられていないのか。そこには「孤立」という問題がありました。それが避難者が社会資源につながらない課題の根底にありました。 原発事故の影響を心配し避難してきた方は、故郷を喪失することで安心して悲しめる場所を失い。悲しみを受け止めてくれる人もいなくなってしまいました。彼らがそれまでの日常から切り離されていることに私たちは気付いていませんでした。 また、避難について語ることの困難もありました。原発事故の健康影響に対する考え方の相違が語ることを難しくしているのです。「まだ避難は必要なのか」といった心ない言葉や、避難することが原発事故の風評を広げているといった言説が避難者の心を傷つけていました。日常から切り離され、語ることのできないなか、避難者は孤立し、被害は構造化しています。 ほっと岡山が、避難者に福島県内の交流に参加するための旅費の補助を行ったり、福島に戻られた方を招いた交流会を開催するのも、関係性に着目し避難者の孤立を防ぐのが目的です。それらの多くは阪神・淡路大震災での広域避難者支援から学びました。交流会を通し、今の思いを言葉にすることで前を向いて進もうとの気持ちも少しずつ生まれています。 また、孤立には、社会への不信感による「関係性の喪失」や先の見えない「将来性の喪失」、自己決定できない「自律性の喪失」が深くかかわっているとの指摘もあります。どれも現在の避難者が抱えている喪失ではないでしょうか。こうした喪失から避難者を救うための支援には、10年という時間は短すぎると感じています。
自己責任ではなく柔軟な社会を
〝最後の一人〟の奥にある意味 震災から10年以上が過ぎ、避難者支援に対する社会の理解は得にくくなっています。ほっと岡山が活動に原資としてきた福島県の補助金は22年度、大幅に減額されました。資金調達のため、クラウドファンディングにも取り組みましたが、「もう12年なのに、まだ支援が必要なのか」といった声もありました。 しかし、避難者の孤立が深刻化していることを認識すると、やはり回復には時間が必要です。避難の長期化による経済のひっ迫に加え、避難もとに残した両親の介護などの新たな悩みや葛藤も生まれています。これらの問題解決は決して容易ではありません。補助金が減り活動を停止せざるをえない団体もありますが、支援の拠点として避難者が集い、安心して本音で語りあえる居場所は必要です。 復興について語るとき、よく耳にする「最後の一人まで」という言葉の奥にある意味に気付いたのは数年前のことです。それまでは、それは「最後の一人」という支援を受ける側に向けられた言葉ではないだろうか。「最後の一人」まで誰も取り残さないという課題を社会は課せられているのだ、と。誰かが取り残されるなら、それはその人の問題ではなく、それを解決できない社会に問題があるのでないかと気付いたのです。 行政に限らない問題ですが、自己責任を押し付ける力が日本社会全体に強くなっていると感じています。しかし、課題を解決できないのは、その人の努力が足りないと切り捨てるのではなく、誰もが課題を解決できる柔軟な社会へと、私たちが住む、この社会を引き上げていくことこそ、大切ではないでしょうか。
はっとり・いくよ 栃木県御まれ。グラフィックデザイナー。子育て支援NPOの理事などを務め、東日本大震災を機に東京から岡山県に避難。現在、一般社団法人「ほっと岡山」の代表理事として避難者の支援に取り組む。
【社会・文化】聖教新聞2023.4.18 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 25, 2024 06:02:32 AM
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