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カテゴリ:コラム
運命」と「宿命」の違い 東京大学教授 安藤 宏 若い頃、シンフォニーが好きでよく聴いていた。別にクラシック音楽に通じていたわけではないので、ブラームスやマーラーなど、片っ端から聴きかじり、イメージを勝手に膨らませて楽しんでいたからである。 ベートーベン一番好きだったのは交響曲第五番。「運命」という曲名は通称にすぎないらしいのだが、やはりあの有名な冒頭からは、運命の突然の襲来のようなものを感じてしまう。好きなのは第三楽章で低音の弦楽器が高音のそれにせりあがっていく対位法の部分だ。外から襲いかかる不条理に対し、内側から湧き起こる生命の息吹のようなものを感じ、そのせめぎ合いに、一人で勝手に興奮していたのである。 実はこうしたおぼろげな記憶が、その後、「運命」と「宿命」の違いについて考えるきっかけになったように思う。例えば災害や事故というのは予測を超えた不条理な運命だ。一見、まったくの偶然のように見えるのだが、この理不尽をどのように受け止め、立ち向かっていくかは人それぞれである。思い病を宣告された時、諦観をもって身をゆだねる人もいるだろうし、とことん病魔と闘う決意をする人もいるだろう。その対処の仕方そのものに、その人がまさに、その人でしかあり得ぬリアリティ、つまり「宿命」が立ち現れるのである。 「運命」は偶然に支配されるが、「宿命」は実り豊かな必然だ。そう考えることによって、われわれに訪れる不条理を、「自分らしさ」を発現させる契機として捉え直していくことができるのではないだろうか。 作歌の個人全集を連読すると、一人の人間の一生を生き直したような不思議な感動に襲われる。その作家がどのような言葉で自分の「宿命」を問い続けたのか、という関心が、私のその後の文学研究の出発点になったように思う。
【言葉の遠近法】公明新聞2023.6.7 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 5, 2024 06:20:07 AM
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