心斎橋の鉄橋
心斎橋の鉄橋武庫川女子大学 丸山 健夫心斎橋をご存じだろうか。今では大阪の観光スポットの名前として有名だ。だが、橋という限り元々、橋があったはずだ。江戸時代の岡田心斎なる人物が、長堀川に木の橋をかけたのが由来。心斎橋という橋が、確かに江戸時代からあったのだ。その心斎橋は鉄橋となる。日本で五番目の鉄橋だそうだ。鉄の橋はドイツから輸入された。錬鉄というパリのエッフェル塔と同じ種類の鉄で弓の形。弓の弦にあたる部分が川の上に置かれるイメージだ。だから橋脚がいらない。しかもプレハブ住宅のように組み立てと解体が簡単にできた。これが決め手となった。明治の終わりに心斎橋が石の橋に変わるとき、もったいないと安治川に接続する境川運河の境川橋になった。橋脚がないから船の通行にも便利だった。ところが境川橋も石の橋に変わり、昭和三年、今度は西淀川区の大和川にかかる新千船橋となる。それまでの橋と、長さがピッタリ同じだったのである。しかし、昭和四十六年、大和田川が高潮対策で埋められると再び移設。今度は鶴見緑地のすずかけ橋となったが、花博開催で再移設。同公園の緑地西橋となる。そうなのだ。明治の心斎橋は、現存する最古の鉄橋として今でも残っている。そして鉄の橋に続いた医師の心斎橋も、長堀川の埋め立てで焼失せず、長堀通をまたぐ石造りの豪華な歩道橋に昭和三十九年変身。さらに平成九年、長堀再開発で横断歩道の両側の飾りとなった。心斎橋という橋はなくなったが、橋自体は鉄の橋も石の橋も大切に保存されている。有名どころのなせる技である。 【すなどけい】公明新聞2023.10.6