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カテゴリ:危機の時代を生きる
第23回 仏教における「共生」の視座 創価大学大学院文学研究科教授 松森 秀幸さん
分断の暗雲を打ち払う 十界互具の調和の智慧
天台智顗の思想 現在の世界は、新型コロナウイルスの流行、ウクライナ危機、気候変動などに象徴されるように、人と人、国と国、世代と世代などのつながりが大きく引き裂かれた「分断」の暗雲に覆われているように思われます。こうした状況に対して、人類はあらゆる知恵を総動員して、その解決に取り組んでいくべきでしょう。 先日のG7広島サミット(主要7カ国首脳会議)に寄せて、池田大作先生は提言「危機を打開する〝希望への処方箋〟を」(本四4月27日付)を発表されました。池田先生は、この中で核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のバナード・ラウン博士らが重視した「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉を紹介し、危機に直面した世界が今、立ち返らなければならない共生の精神を示されました。 「共生」というテーマは、さまざまな視点から考察できると思いますが、私は6世紀の中国で活躍した天台智顗が提示する「十界互具」という思想にそのヒントを見いだすことができるのではないかと考えています。 天台智顗は仏教の根本的真理を大乗仏教で説かれる「諸法実相」に見いだしました。 「諸法」とは、この現実世界において、さまざまな姿や形を取って現れているすべての存在であり、「実相」とは、その真実のありのままの姿、真実の様相のことです。 法華経では、仏の智慧によって「諸法実相」、つまり万物の姿を各地することができると説かれています。 同じ現実の世界のさまざまな事象を見ても、仏は事象の多様なあり方にとらわれることなく、そのありのままの姿を正しく認識することができると説くのです。 しかし、私たちが目にしている現実の世界の真実の様相を理解することは、凡夫にとって非常に難しいといえます。 例えば私たちの日常生活でも、見間違いや思い違い、偏見によって失敗することがあります。世界各地で起きる「分断」の問題についても、何が真実なのかを見抜くことは困難です。人は物事の一面ののみをもって、これを全てであると反題してしまいがちだからです。 そこで、智顗は「正法実相」を理解するための修行実践として、修行者にとって最も身近な自分の心を視察の対象とするべきであると主張し、その中で自分の心に十界が備わっていることを指摘しています。 「そもそも一つの心には十の法界を備えている。一つの法界はさらに十の法界を備えており、百の法界となる」(『魔訶止観』巻五上) 「十法界」(=十界)とは、あらゆる生き物(衆生)を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・の六道(六種の輪廻する衆生)と、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖(四種の仏教的聖者)を十種に分け、これらの十種の衆生が住む領域(世界)として規定したものです。 智顗はこの十界という考えを用いて、十界のそれぞれ一界が十界を備えるという考え方(十界互具)を提示しています。一つの心に十界が備わっているということは、一つの心に仏が存在する領域(仏界)も存在しているということです。つまり、あらゆる衆生に仏界が備わっていることを示そうとしたのです。 また、十界の衆生はそれぞれ別々の領域に住んでいる生き物であることが想定されているわけですが、十界互具という考え方に基づけば、たとえば自分の心を視察する主体である人間(人界の衆生)にとって、他の九つの領域の衆生は自分と全く異なる無関係な他者で亡くなるということになります。
煩悩と悟り 仏教では衆生の心身を乱し悩ませる精神の働きのことを「煩悩」と呼び、衆生は煩悩による行為(業)が原因となって、苦しみという結果を受けるとされています。そして、仏道修行によって煩悩を克服することで解脱(悟り)が得られると説かれてきました。 智顗は「十界互具」という考えを提示することによって、九界の衆生の心に仏界が備わることを示すとともに、煩悩を克服したはずの仏の心にも九界が存在していることを明らかにしました。このことは、修行によって到達した悟りの世界では、煩悩が消滅しているのではなく、煩悩も仏の世界と一体となって存在し続けているということを示しているといえます。 このように、「十界互具」は、別々に住んでいて無縁と考えられる衆生の領域もすべて自分の心に存在しており、また、覚りも迷いも自分の心に同居していると説いています。このような視点に立てば、現実に存在するさまざまな差異についても、それらは全ての自分の心の中に映し出された差異であると理解することができます。 現実の世界には、人種、文化、宗教、思想、また経済的な環境の相違などといった種々の差異が存在し、それに伴い、さまざまな価値観が形成されています。その意味では、仏教もそうした、さまざまな価値観を構成する一つの要素といえます。 ただし、仏は智慧によって「諸法実相」を見つめます。智顗の考えに基づけば、このような仏の視点は、さまざまな価値観が存在する世界のありのままの様相を自己の心の問題として徹底的に視察することで、感得されるのです。 智顗が「諸法実相」として示した智慧は、差別的・対立的な思想を超えて、あらゆる存在のありのままの様相を観察しようとする思想といえるでしょう。
セン博士の視点 人間自身に備わる他者との共生という十界互具の考えと方向性を同じくする視点として、経済学者のアマルティア・セン博士の考え方を紹介したいと思います。 セン博士は、世界的な対立や分断を「アイデンティティ」(自己同一性)の衝突という側面から見つめました。「自己と同一であるという概念から、特定の集団にいる他者との同一性を共有するという概念に目を向けると(中略)現代の政治・社会問題の多くは、異なる集団に関わるアイデンティティの主張の衝突をめぐって起きている」と分析したのです。 この分出来は、1944年に博士がまもなく11歳を迎えようとしていた頃、故郷のダッカでヒンズー教徒とムスリム(イスラム教)との激しい抗争を目の当たりにして原体験に基づいています。 ある朝、一人のムスリムの日雇い労働者の男性が血まみれになって叫び声をあげながら、セン少年の家の門から入ってきました。セン少年は懸命に水を与えて介抱し、一家は手を尽くしましたが、男性は亡くなってしまいました。 男性の過程は非常に貧しく、ヒンズー教徒とムスリムの抗争が激化する中、わずかな収入を得るために、ヒンズー教徒が多く住む地区に立ち入ったところを、ただ彼がムスリムであるという理由だけで、ヒンズー教徒の中でも宗教集団への帰属意識の強い人たちに目をつけられ、刺されてしまったのでした。 セン博士は「歴史や出身地だけが、自分を認識し、自分が属している集団を確認する唯一の方法ではない」として、こう言います。 「私はアジア人であるのと同時に、インド国民でもあり、バングラデシュの祖先をもつベンガル人でもあり、アメリカもしくはイギリスの居住者であり、経済学者でもあれば、哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛者の権利は擁護しており、非宗教的な生活を送っているヒンドゥーの家系の出身で、バラモンではなく、来世は信じていない(質問された場合に備えて言えば、『前世』も信じていない)というアイデンティティを持つ、と。セン博士はこうした、人間を複数のアイデンティティを持った存在として見る必要をインドの古典作品から学び取ったといい、こう結論づけています。 「現代の世界で協調に向けた希望が実現するとすれば、人のアイデンティティにはいくつもの面があることを明確に理解できるかどうかに、大きく左右される」(セン博士の言葉は『アイデンティティと暴力』大門毅監訳、東郷えりか訳。同じ訳者の『アマルティア・セン回顧録』を参照。いずれも勁草書房刊)と。
差異を乗り越えて 人間を一つのアイデンティティではなく、複数のアイデンティティを持った存在として理解しようとすることするセン博士の視点は、approachこそ異なりますが、人間に備わる他者との共生を説く十界互具の思想と同じ方向性を持った考えといえるのではないでしょうか。 池田先生は、ハーバード大学での講義で「21世紀文明と大乗仏教」の中で、「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」という釈尊の言葉を引用し、この「一本の矢」とは、「差異へのこだわり」であると指摘されました。そして、このように論じられています。 「『民族』であれ『階級』であれ、克服されるべき悪、すなわち『一本の矢』は、外部というよりまず自分の内部にある。ゆえに、人類への差別意識、差異へのこだわりを克服することにこそ、平和と普遍的人権の創出への第一線であり、開かれた対話を可能ならしむる黄金律なのであります」と。 池田先生が論じられる通り、現実に存在するさまざまな差異を乗り越えること、「差異へのこだわり」を克服していくことこそが、「分断」された世界に求められる「共生」への基盤となるのではないでしょうか。 池田先生はG7広島サミットの提言の中で「今再び、民衆の力で『歴史のコース』を変え、『核兵器のない世界』、そして『戦争のない世界』、への道を切り開くことを、私は強く呼びかけたいのです」とつづられました。 池田先生の呼びかけの根底には、共生を志向しる仏教の価値観があることは言うまでもありません。 私も仏教の探求と実践によって、平和と共生の社会の建設に寄与していきたいと決意しています。
まつもり・ひでゆき 1987年生まれ。哲学博士、博士(人文学)。専門は仏教学(中国仏教)。創価大学を卒業後、中国人民大学哲学院宗教学系博士課程修了、創価大学大学院文学研究科(人文学専攻仏教学専修)教授。著書に『唐代天台法華思想の研究』(法蔵館)など。東洋哲学研究所研究員。創価学会学術部員。
【危機の時代を生きる希望の哲学■創価学会学術部編■】聖教新聞2023.6.11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 8, 2024 04:49:58 PM
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