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カテゴリ:教学
佐渡流罪③ 日蓮大聖人の竜の口の法難以降、門下たちも、捕縛されたり、所領を没収されたりするなどの迫害に遭っています。これによって、多くの門下が疑いを起こし、信仰を捨ててしまいました。こうした状況の中、大聖人は「開目抄」を執筆されます。
「諸難ありとも疑う心なくば 自然に仏界にいたるべし」
開目抄の心 大聖人は、「開目抄の心」について、のちに「日蓮によって日本国の存亡は決まるに違いない。例えば、家に柱がなければ家は保たれず、人に魂がなければ死人であるのと同じである。日蓮は日本国の魂である。平左衛門尉はすでに、日本の柱を倒したのである。そのため、まさに今、世の中が乱れ、それという事実もないのに、夢のように嘘が出てきて、北条一門に於いて同士討ちが起こり、後には他国から攻められるであろう。例を挙げれば、立正安国論に詳しく述べたとおりである」(新1283・全919)と綴られています。 このように強く仰せになっているのは、ご自身が釈尊の使いとして、また、法華経の行者として、妙法という偉大な法を弘められているからであり、「民衆を救おう」「民衆の幸福の道を確立しよう」斗いう強いお心からであると拝されます。 佐渡にあって、民衆救済の請願を貫かれる大聖人の悠然とした五経買いに、大慈悲を感じます。
法を護る功徳 大聖人は「開目抄」で、「護法の功徳力」の法門について説かれます。御自身が流罪、死罪に遭われたことは過去の宿業があったからであるとし、謗法を呵責氏、法華経を護持することによって難を受けるけれども、それは過去世の罪業を一度に招き出し、受けるべき報いを今世に軽く受け、消滅させることであると明かされます。 「今、日蓮は強盛に日本国中の謗法を責めたので、この大難が起こってきたのであり、これは、過去世につくった重罪が、今世の護法の実践で招き出されてきたものであろう」(新115・全233、通解) 「過去の重罪」の根源は、妙法に対する不信、謗法です。大聖人御自身の過去世の悪業にあえて言及することで、謗法と戦い苦難に遭う意味を明らかにされたのです。 池田先生は、」最大の悪業である謗法を見つめることは、生命における悪の根源である無明の声明を深くとらええ直すことに通じます。根源の悪を洞察し、その悪をもたらす元凶の因を断ち切ることによって、宿命転換の道を開いていくのが、日蓮仏法です」(『池田大作全集』第34巻)と示されています。 そして大聖人は、御自身と同じ決意で信心を貫くよう、弟子たちに呼びかけられます。 「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげ(嘆)かざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すて(捨)てけん。つた(拙)き者のなら(習)いは、約束せし事をまことの時はわす(忘)るるなるべし」(新117・全234)と。 続いて、折伏こそが悪世末法という時に適った実践であることを教え、この慈悲の実践の故に、大聖人こそが人々を救済する「末法の主師親」であると示されています。(「主師親」については6月号を参照)。 なお、題名の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。大聖人が発迹顕本によって凡夫の姿のままで仏界の生命を現されたことで、万人に対して即身成仏〈注1〉の道が開かれました。故に、「開目」とは、「日蓮に目を開け」という呼びかけであると拝されます。
自界叛逆難が現実に
二月騒動 「開目抄」を門下に送られたのと同じ文永9年(1272年)2月、鎌倉と京都で戦闘が起こります。北条氏の有力者でありながら、得宗家(執権北条氏の嫡流)とは距離のあった名越時章・・時教兄弟が、謀反の疑いによって鎌倉で討たれ、その後、執権・北条時宗の異母兄で、六波羅探題〈注2〉の南方であった北条時輔も討たれました。これを「二月騒動」といます。 「二月騒動」について、大聖人は後年、「日蓮がもし佐渡へ流刑にされず、鎌倉にでもいたなら、あの時の戦(二月騒動)の時に、きっと打ち殺されていたに違いない」(新1583.全1164、通解)と述懐されています。 大聖人が「立正安国論」でも予言し、竜の口の法難の際に改めて警告された二難のうちの一つ、自界叛逆難(内乱)が、その警告からわずか150日後に現実になったのでした。(続く)
池田先生の講義から 「日蓮の大願に目を開け」というのが「開目抄」の根本趣旨なのです。 末法の世に仏と同じ大願を生きる人こそが末法の法華経の行者であり、諸天に守られるかどうかは二義的な問題なのです。 先に述べたように「大願」とは法華経に説かれた仏の広大な誓願です。万人を成仏させようという仏の願いです。 それを実現していくために大法を弘めようという大聖人の大願です。 「我日本の柱とならむ」等の誓いは、まさに仏の誓願に通ずるのです。 (『池田大作全集』第32巻)
〈注1〉 衆生がこの一生のうちにその実のままで仏の境涯を得ること。 〈注2〉 京都における幕府の出先機関の長官で、北方と南方からなる。北方が上座で、南方は次席。
[関連御書] 「種々御振舞御書」、「開目抄」
[参考] 『池田大作全集』第33巻(「御書の世界〔下〕第十章」)、同第34巻(「開目抄」講義)、「大百蓮華」2012年6月号「勝利の経典『御書』に学ぶ」(「種々御振舞御書」講義③、)小説「新・人間革命」第11巻「躍進」
【日蓮大聖人 誓願と大慈悲の御生涯】大百蓮華2023年8月号 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 21, 2024 06:47:15 AM
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