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October 20, 2024
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カテゴリ:コラム

大阪初の「国際空港」

武庫川女子大学名誉教授  丸山 健夫

大阪市内を流れる木津川は、江戸から明治の時代、街の水運を支える大河川のひとつだった。

その木津川の加工、現在の大阪市大正区船町付近に、大正十二年(一九二三年)、水上機のための飛行場が作られた。水上機とは、機体から伸びる足先に車輪ではなく浮きをつけ、水の上からの離発着ができる飛行機のことだ。

水上飛行機とこの飛行場を使って、日本の草分けとなる定期空港路が誕生する。現在の日本航空とは無縁だが、同じ名前の「日本航空株式会社」が運営した。空港旅客事業の黎明期だ。当初、機体は小さく三、四人乗り、乗客もせいぜいに、三人だった。

初の路線は大阪と九州の別府を結んだ。なぜ別府だったのか。当時、別府温泉は関西定番の観光地だったし、何より空から見る瀬戸内海の景色が美しかった。

巨大なクレーンを使って期待が木津川の川面におろされる。乗客を乗せると飛行機はゆっくり海上に進んで離水。半日かけて瀬戸内海を縦断し、別府の的ヶ浜沖に着水した。浜には巨大な格納車も建設されて観光名所となる。

昭和四年(一九二九)、木津川飛行場は陸上機も離発着されるように拡張され、大阪の公共飛行場となった。大阪飛行場と称し、東京、福岡、上海、大連などへの定期便が飛んだ。そして旅客数、発着数ともに日本一の空港へと成長したのである。

ところが周辺の工場の高い煙突と煙が問題となる。対策として昭和十四年(一九三九)、大阪第二飛行場が検察された。伊丹空港とも呼ばれる現在の大阪国際空港である。

今では木津川尻に、大阪の初代国際空港があったことを知る人は少ない。記念碑がたったひとつ、新木津川大橋の袂に建っているだけだ。

 

 

 

【すなどけい】公明新聞2023.9.8






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Last updated  October 20, 2024 06:52:04 AM
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