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カテゴリ:コラム
歴史物語の作り方 作家 伊東 潤 ここ最近、「この小説やドラマ、どこまで史実に基づいているのだろう」といった声をよく聞く。まず歴史上、史実とされていることは、ごくわずかだということを忘れないでほしい。また時代をさかのぼるに従って資料は少なくなり、現代に近づくほど資料が多くなるという当たり前の原則もある。つまり海面に顔を出している氷山(史実)の数が、歴史をさかのぼるほど少なくなり、現代に近づくほど多くなるというイメージだ。 本物の氷山は、海面上に見えている部分の何十倍も海面下に隠れており、また複数の氷山が海面下でつながっていることもあるという。 歴史研究は海面上の見えている氷山だけを扱い、類推や解釈を行うにも、すべての史実の裏付けを必要とする。 一方、小説やドラマは海面下の氷山まで想像で描いていく。ただし小説やドラマも史実を改変してはならない。すなわち海面上の氷山の形を変えず、また海面上に見えている都合の悪い氷山を無視してはならないのだ。歴史の名のついた小説やドラマを作るには、このルールに従っていなければならない。 そこでは、どこで差別化を図っていくかというと、海面上の氷山をいかに解釈し、海面上の氷山と無理なくつなげていくということにあると思う。 歴史物語の価値は、一に歴史解釈力、二に人間洞察力、三にストーリー・テリング力だ。とくに三は「歴史は結末が分かっている」という弱みを持ちながらも、いかに一気読みさせられるかという点で作業の力量が問われる。しかしそれも一と二があってのもので、妥当性のある歴史解釈と緻密な心理描写なくして三は生きてこない。 こうした原理原則を大切にして、私は歴史物語を紡ぎ続けていくつもりだ。
【すなどけい】公明新聞2023.9.15 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 25, 2024 08:38:25 PM
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