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カテゴリ:危機の時代を生きる
持続可能な世界を築くために 「地球に生きる責任」の自覚を インタビュー インド社会起業家 アミット・サチデバ氏 持続可能な社会へ大切な役割を果たすといわれるCSR(企業の社会的責任)活動。インドでは2013年、世界的に先駆けてCSRを義務化する新会社法が制定された。旗振り役となった社会起業家のアミット・サチデバ氏に、CSRの重要性、そこに脈打つ社会貢献の精神と創価が会の活動との共鳴などをインタビューした。(聞き手=小野顕一)
——いま、CSRが求められる理由とは何でしょうか。
インドでは、現代のようにCSRの概念が普及する以前から、富める者が貧しい人々に救済の手を差し伸べるという伝統がありました。19世紀中盤からインドの工業化が始まり、大きな企業体が現れると、より大規模な社会貢献活動が定着していきます。 そうした活動を思想的に後押ししたのが、20世紀初頭にガンジーが主張した「信託理論」でした。富裕者の財産は神から「信託」されたものであり、預かった富は社会や公共のために適切な形で戻されるべきであるという考えです。 損得を顧みず、惜しみなく社会福祉に取り組む人々がいた一方、インドの急速な発展や世界製剤のグローバル化の中、自らの利益を過度に優先するような行動や、倫理観に懸けた不正行為を働く経営者も現れました。またインドに進出した多国籍企業の中には、知見を社会に還元する考えをもたないような企業もあります。途上国の経済が先進国の論理で進めば、貧富の差は広がるばかりです。 企業は、地域社会や地球環境に責任を持ち、将来の世代に対する影響を深く考えなければいけません。また、長期的に見れば、そうした理念を効果的に実施している企業の方が、そうでない企業よりも利益を上げていると感じています。 2013年に新社会法が成立し、一定の資本、もしくは売り上げを持つ企業は、過去3年間の平均純利益の2%以上をCSRに活動に充てることが決まりました。 対象となる活動は飢餓や貧困の撲滅、教育の促進、女性や障がい者の雇用、安全な飲料水の確保などで、12項目が明示されています。 企業はさまざまな社会問題に対して、自分の仕事と関連する分野などでCSR活動に取り組みます。たとえば、水を多く使用する会社なら、施設の周りに浄水場を作ったり、水が不足する地域で井戸や水道の建設工事を行ったりして、衛生的な水が生き渡るようにする。自社の使命として「農村地域の水不足による貧困と飢餓の撲滅」などを掲げる事例があります。 ご存じの通り、ガンジーは非暴力の精神で人々を結び、植民地支配に立ち向かいました。そして、身分や階層に関係なく、全ての人々が向上しゆく平等な社会の実現を目指したのです。 村や人々を自立させる、女性に力を与える、豊かな人間性を実現する等のガンジーの運動は、SDGs(持続可能な開発目標)の多くと共通しています。 特に、ガンジーが大切にした「サルポダヤ(万人の幸福)」と「アンティオダヤ(最後の人まで)」の心情は、「誰一人取り残さない」というSDGsの基本理念と響き合う、今、改めて注目されるべきメッセージだと思います。
〝必要〟と〝貪欲〟 ——世界主体のSDGsへの前進を考える時、世界最大の人口を有するインドの比重及び役割は大きいものがあります。SCRがSDGsの推進に重要な貢献を果たす一方で、義務化には反発の声があったのではないでしょうか。
財界や営業車から反対や批判の声も上がりました。CSRは強制されるものではなく、あくまで企業の内発性に委ねられるべきという意見です。しかし、法律とは何のためにあるのかを考えてみてください。 法律は守らなければ罪となる。だから法律に従うのか。私は、そうではないと思います。ほとんどの人は、法に則った正しいことをしたいと考えているのです。 2013年に成立した新社会法は、利益の2%を社会に還元するという法律ですが、8%を上回るような額をCSRに使い続けている大企業もあります。 一方で、利益ばかりを追い求めて強引な鉱山採掘を繰り返し、地域の生態系を崩壊してしまうような企業が存在するのも事実です。 資本主義社会といえども規制が必要です。「赤信号は止まる」というルールがなければ、いつかは事故が起きてしまいます。 社会貢献が自発的に広がることが理想ですが、それには時間がかかります。環境破壊は急激に進んでいますし、「信号を守る」人たちの努力が正しく報われるような社会にしなければ、健全な発展は望めません。 新型コロナウイルスのパンデミックによって、インドは多くの犠牲者が出ました。しかし企業や財団、非営利団体(NPO)の活動がなければ、さらに甚大な被害が出ていたに違いありません。CSR活動の中で、多くの食料や救援物資、医療品などが国民に行き渡り、人々に感染症立ち向かうことができたのです。 ただ、こうも思いました。なぜ、パンデミックのようなときに死か、人間は力を合わせることができないのか。危機や混乱に直面しなければ、人間は社会的責任を果たせないのか、そうではないはずです。 CSRに込められた社会貢献の精神は、企業に限ったことではなく、日常から誰もが取り組まなければいけないものです。人はだれしも、自分一人では生きていけません。社会に生きる一人一人が、地域や社会、環境に対して、生きる責任をもっているのです。 世界に目を向ければ、富裕層と貧困層の格差は広がり続け、上位1%の超富裕層が世界全体の資産の4割近くを所有するという、不平等な現実があります。 人間の欲には限界がありません。自宅にテレビやエアコン、車があるだけでは満足できず、海外にまで家や財産を持つ資産家もいます。一方で、困窮から抜け出せない人が、インドにはいまだに何億人といます。 この数十年で、貧困率は着実に下がってきていますが、どれだけ努力しても報われず、もがき苦しむ人がいる。ガンジーは、地球は人間の〝必要〟を満たすには十分でも、〝貪欲〟を満たすには十分ではない、と警告しました。 私は、この現状をどうしても変えたいのです。
対話で解決できないものはない 心の窓を開け、人類の課題に挑戦
マハトマ賞 ——CSR事業や人道的な諸活動をまい進するなど、社会課題に取り組む個人や団体に受賞する「マハトマ賞」を創設されました。2017年に受賞が始まって以来、企業や国連をはじめ、さまざまな人物や団体が受賞しています。
「マハトマ賞」の名称は、ガンジーへの敬意をこめたものです。 現代において、ガンジーの理念に沿う活動をしている全ての人をたたえ、表彰したい。そうした人や団体を世に知らしめて、よりよい社会を築く活力としたい。それが私の使命だと思っています。 マハトマ賞は部門ごとに審査委員会があり、個人や団体の活動がどんな人々にそのような具体的に調査し、数値化して審査しています。 たとえば、個人であれ、社会活動家であれ、非営利団体であれ、教育の機会を得られない子どもたちに教育を施しているとしたら、それは、「誰も置き去りにしない」というガンジーの心を広げてくれているのと同じことなのです。 中には、十数万人が働く誰もが知るような団体もあれば、十数人ほどの規模で誰にも知られていないような組織もあります。しかし、彼らを表彰することによって、僧の社会的貢献を広く世間に認知させることができるのです。 マハトマ賞を通してガンジーの心を伝えることで、平和と平等のメッセージを広げていく。それが私のモチベーション(動機)です。
人間のあり方 ——昨年10月、インド創価学会(BSG)が社会貢献および社会的影響の部門でマハトマ賞を受賞しました。BSGでは、社会貢献の一環として、「BSG FOR SDG」と掲げ、SDGsの達成に向けて主体的に取り組んでいますが、そうした活動が評価されたのでしょうか。
BSGは他のどの団体もしていないことをしている点が最も評価されたのだと思います。それは、社会貢献などの活動の根本に、人間のコミュニティーを築いているのです。 人々が集まって喜びや悲しみを分かち合い、互いを勇気づけながら、地域や社会に価値をもたらしている。いわば心のエコシステム(有機定期な連携)が機能しています。 今、インドでは核家族化が進み、都市部の人間関係に変化が見られます。仕事や育児などで重圧を抱えても、相談する相手がいない。一見、恵まれた生活をしているようで、実際は自らの苦悩を誰にも打ち明けられず、外面を取り繕うことで必至という人もいます。 しかし、BSGは違います。自分のことを話したい時に、深く受け止めて、共感してもらえる。誰かが訪ねてくれる時もあれば、悩みを抱える人のもとに足を運ぶ時もある。 互いの経験を分かち合いながら、価値創造の哲学を胸に、生きる力を湧き立たせていく——。 不安や焦りが渦巻く時代にあって、自身の状況に素直に話せる場が近くにあることが、どれほど大きな価値をもつことでしょうか。 特に強調したいのは、家族の病や大切な人との別れなど、苦境に立たされた人が、涙を流しながら本音をぶつけられるような、人間関係があることです。 気候変動への対策をはじめとする地球規模の諸課題の解決には、政府や企業のあり方も重要ですが、その成否は周囲の人々の献身的な努力にかかっています。 それは同時に、地球に生きる責任、また未来を開く責任果たしていくための大きな力となるでしょう。 そうした活動をしている団体は他にはありません。ですから、BSGの存在は、もっと広く知られるべきものだと私は考えるのです。
二人の獄中闘争 ——創価学会の理念とガンジーの精神に共通する点は何でしょうか。
第2次世界大戦中、戸田第2代会長が軍部政府の弾圧によって牢獄にとらわれていたとき、ガンジーも最後の獄中闘争に臨んでいました。 非暴力抵抗運動の思想「サティヤーグラハ(真理の把握)」を提唱し、不正と暴力に立ち向かったガンジーは、獄中にあっても言論戦を展開しました。一方、戸田会長は「仏とは生命そのものである」との悟りを得て、人間の差別の壁を破る、万人平等の法を弘める覚悟に立たれています。 戸田会長とガンジーは、場所こそ異なりますが、同じ時に、同じことをされていたのだと思います。 釈尊の存在も、両者の共通項でした。釈尊が対話の精神を重んじたように、ガンジーも「常に心の窓を開けよ」と、全ての問題を対話によって解決しようとしました。この「対話主義」は、戸田会長、池田SGI会長にも、同じように流れ通っているものです。 池田会長は中国とソ連が対立する局面において、対話をするところから行動を始めています。ガンジーも危機の局面にあってイギリスに乗り込みました。対話で解決できないものはないとの信念が、深く共鳴しているのです。 「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」とがいいジーが言ったとおり、対話には時に柔軟で粘り強い姿勢が大切です。ただ、ガンジー自身は、暴力と憎悪に満ちた世界を変えようと、すさまじい速度で対話の戦いを繰り広げ、人々を結束させていきました。 気候変動、パンデミック、戦争と、人類は複合的な危機に直面しています。 今、私が最も懸念しているのは、「水資源をめぐる争い」と「若い世代の過度のネット依存」です。 そうした課題に本当の意味で歯止めをかけるには、心変革が不可欠です。 世界の岐路に立つ私たちが、次の世代へ、持続可能なよりよい未来をもたらしていけるように、心を親しく結びつけながら地球や社会の変革に挑む創価の運動が、今以上に加速することを願っています。
Amit Sechdava 社会起業家。インドにおける企業の社会的責任。(CSR)法案への取り組みと提唱によって、同国のCSRの第一人者として知られる。「CSR good Book」編集長。ソーシャルインパクト企業「Liveweak」創設者。著名なガンジー主義者であり、社会的責任を果たす団体や取り組みをたたえる「マハトマ賞」を創設した。
【危機の時代を生きる希望の哲学】聖教新聞2023.10.14 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 10, 2024 04:23:23 PM
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