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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:学校
昨日は、EURO2008の試合でトルコがスイスに逆転勝ち。その後から、クラクションをならす音が深夜まで続いてうるさかった。私の家の周りは、夜はとても静かだから、遠くでなっているクラクションもよく聞こえる。ドイツにはトルコ人がたくさん住んでいる。私の住んでいる町も例外ではない。トルコにはもう勝って欲しくないなーと真剣に思ってしまったよ。 今日は、夕方から、ドイツの試合。ついつい、賢浩と一緒にテレビ観戦してしまうのよねー。 ドイツでは、小学校から週に2時間、宗教の時間がある。カソリックとプロテスタントの選択で、「宗教の授業を受けない」という選択肢もある。賢浩の学校では、トルコ人子弟のために、宗教の時間に、「トルコの時間」という選択もあって、トルコ語で授業を受けることも可能。 我が家は、無宗教だが、子供達は、「プロテスタント」の授業を受けている。1-2年生は、話を聞いたり、絵を書いたり、歌を歌ったり・・という内容で、授業は楽しそうだ。 先日の授業では、「カインとアベル」のことを習ったと賢浩が話してくれた。「カインとアベル」と聞いて、私の頭にすぐ浮かぶのは、ジェフェリー・アーチャーの小説「ケインとアベル」。この小説のタイトルは、「カインとアベル」の話からとったことは知っていたが、それがどういう話なのかはよく知らなかった。 賢浩は、「カインとアベルは兄弟なの。カインとアベルは神様にプレゼントしたんだけど、神様は、アベルのプレゼントの方が好きだったの。だから、カインは怒って、アベルを殺しちゃったんだよ。」と話してくれた。 「えっ、そんな話なの?どうして神様は、カインのプレゼントを受け取らなかったのかな?一生懸命用意したのに、どうして2人を平等に扱わなかったのかしら?」と素直な感想を述べたら、「アベルのプレゼントは、自分の飼っていた羊で、神様は羊が好きだったの。でも、神様は、カインのプレゼントは好きじゃなかったの。」との返事。それって、変なストーリーだなーと思った。この話のどこにも「教訓」がないじゃないか。神様は、誰に対しても平等であるかと思っていたのに、プレゼントのよしあしで、その人に対する態度を変えるなんて、俗っぽすぎる。 それで、ちょっと調べたら、神様に対して、「血を捧げる」という行為が大切である、ということがわかった。しかし、賢浩が授業で得た知識は、「カインとアベルは兄弟」「アベルは羊を殺し、神に捧げた」「神は、アベルの貢物だけを選んだ」「カインは、神により好かれているアベルに嫉妬」「カインはアベルを殺した」ということ。 小2では、この程度の知識でいいのだろうか?それとも、先生は、どうして神はアベルの貢物だけを選んだのかを話したのに、賢浩には理解できなかったのだろうか?宗教の時間って、日本にはないから、私にとってはとても不思議に思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月13日 14時16分03秒
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