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カテゴリ:書籍
「人間観察」というものがある。
任意で見知らぬ人物を「観察」して、ありのままの現象をみつめたり、相手の立場を想像したりすることで、今まで気付かなかったようなことを発見したり、ありきたりな行動を面白おかしく「妄想」したりすることで、愉しむというものだ。 明確な定義がないので、こんなところでいいだろう。 人様が何をして、何者なのかを「知る」ことに喜びを見い出すのは、分からんでもない。 観察する側の力量が重要になるから、バカにもできない。 さて、この「人間観察」、外出時に見かけた人が「気になる」という程度の軽度のものから(ほとんどの人はこの範囲に入るので、特別に「人間観察」と言い募ることもないだろうとは思う。)、それを生き甲斐とし、目的化する重度のものがある。 さらに、この重度の中でも、岡田斗司夫がヲタクを定義して述べたような、厖大なお金と時間を費やす「人間観察」オタクまで、濃さは様々。 加えて、今回の『いちど尾行をしてみたかった』の著者・桝田武宗のように、もっとアグレッシブな形態で、それを実行する人もいる。 これは「ノゾキ」にも似た、甘美さ、淫靡さ、背徳感を有する行為だ。 因みに、本書を読めば分かるが、この人はオタクの域である。 本書に登場するのは、オバハン、小学生、高校生といった普通に眼にする人々、訪問販売員、テレクラに行くサラリーマン、酔っ払いといった特定の状況下の人々、都会を異界へと変えるホームレスや奇妙な女、さらに外国人、イエローキャブである。 さすがに、書籍になっているだけあって、それなりに注意深く選りすぐった人選と言える。 ただ、この本、どうにも興味を繋ぎ止めるのが、苦しい。 あれこれ妄想する行は必要だからまだしも、時折り入るダジャレやなんとなく古臭い文章の使い方が鼻につく。 93年発行の風俗関係の書籍だから仕方がないと言えばそうなのだが、前半は慣れるまでが大変だった。 中盤以降はネタのおかげもあって、さらっと読むことができた。 本書を一読後、気になったのは、対象の持つ「意味」への言及の少なさはいいとして、「人間観察」という行為自体に対する考察が存在しないことだ。 これは連載媒体が『報知新聞』だったことによるのか、端からそのことに興味がないのか、それは分からない。 しかし、「人間観察」が巷間に認知されている?現在においては、それが出てきた経緯、時代背景などへの考察の方が興味深い。 オタクはオタクを自己言及するという。 その意味でも、「人間観察」オタクの人にはその辺もついでに「観察」してもらいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月05日 01時02分47秒
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